東京湾の人工島「第二海堡」を富津岬&洋上から見学
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が、千葉県富津市にある第二海堡(だいにかいほ)。富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台…
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が、千葉県富津市にある第二海堡(だいにかいほ)。富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台…
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だい…
東京湾に突き出した富津岬全体が千葉県立富津公園に指定されていますが、実はその根元の部分に、堀で囲まれた城郭のようなものがあるのをご存じでしょうか? これが、東京湾防備の要塞の一つ、富津元洲堡塁砲台の跡です。
栃木県那須烏山市にある「東力士」の銘柄で知られる酒蔵が島崎酒造。嘉永2年(1849年)創業という老舗の酒蔵で、第二次世界大戦末期に戦車製造のために掘削された地下工場跡が洞窟酒蔵になっており、仕込み時期を除いた土・日曜、祝…
関門海峡を隔てる九州側と本州・下関側に、緊迫するアジア情勢を背景に、明治20年から築かれたのが下関要塞。清国の北洋艦隊や、ロシアのバルチック艦隊の来襲を念頭に、榴弾砲などを備える砲台を築いたのですが、そのうちのひとつが火…
明治32年、帝国陸軍が広島湾(呉港)への外国艦船の侵入を防ぐために、音戸の瀬戸に臨む標高216mの高烏台(たかがらすだい)に築いた28センチ榴弾砲6門を装備した砲台の跡が高烏砲台跡。現在は音戸の瀬戸公園の一部で、平清盛の…
広島県呉市の入船山公園に移築された旧陸軍の火薬庫が旧高烏砲台火薬庫。明治30年以降、呉湾や広島湾を見下ろすことのできる要所に外国の敵艦船の侵入を防ぐために陸軍の砲台が築かれましたが、呉軍港に近い休山(やすみやま)にも明治…
戦前は海軍の軍港として繁栄した広島県呉市。呉港のすぐ背後にある入船山は、明治時代までは村の氏神、亀山神社があった鎮守の森。明治19年に海軍の軍用地となり、呉鎮守府司令長官官舎が建てられました。現在では自然林を生かした入船…
大阪湾の入口を守備する目的で明治時代に築かれた由良要塞は、同時期に築かれた首都東京を守る東京湾要塞と比肩する大規模な要塞。その中心的な友ヶ島灯台には5ヶ所の砲台が築かれていましたが、島の西端に設けられた第一・第二・第五砲…
淡路島の由良地区から和歌山市加太の深山地区に至る紀淡海峡を防備するために日清戦争前の明治22年頃から築かれ始めたのが友ヶ島の砲台群。由良要塞の中央に位置する重要な砲台で、友ヶ島には5つの砲台が設置されましたが、友ヶ島第三…
紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ地ノ島、沖ノ島、神島、虎島の総称が、友ヶ島。明治〜第2次大戦までは旧日本軍の軍用地で、対岸の加太(かだ)などとともに由良要塞を形成していました。沖ノ島には今でも弾薬庫、軍馬舎、官舎などが残り…
愛媛県愛南町、宇和海展望タワーのある馬瀬山山頂にある第二次世界大戦中の戦闘機「紫電改」(正式名は紫電二一型)保存施設が紫電改展示館(しでんかいてんじかん)。昭和53年11月に久良湾(ひさよしわん)の長崎鼻沖40mの海底で…
北九州港(北九州市若松区響町)にある一風変わった歴史を有する防波堤。太平洋戦争終結後、帝国海軍の艦船は戦時賠償として連合国に引き渡されたり、解体されたりしましたが、一部は船体そのものを防波堤の一部として再生しています。そ…
北海道旭川市にゆかりのある彫刻家、中原悌二郎(なかはらていじろう)を記念して開設された中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館。中原悌二郎の12点の彫刻作品を中心とする常設展のほか、企画展なども随時開催。白壁の建物は、明治35年に…
沖縄本島の南端部に位置する喜屋武岬(糸満市)は、第二次世界大戦末期の沖縄戦でも有数の激戦地。昭和27年10月に将兵および沖縄戦の犠牲になった住民の遺骨1万柱を奉納し、喜屋武岬に平和之塔が築かれました。現在の美しいモニュメ…
沖縄本島南端、沖縄戦跡国定公園の小さな岬が喜屋武岬(きやんみさき/糸満市)。突端、限界を意味する「きゃん」に喜屋武(きやん)という漢字を当てたもの。高さ50m内外の海食崖が続き、断崖の上には昭和47年建造の喜屋武埼灯台が…
千葉県いすみ市の太東崎(たいとうざき)に建つ白亜の灯台が太東埼灯台。太東崎から屏風ヶ浦(旭市)まで続く九十九里の南端に位置しています。一帯は南房総国定公園に指定され、灯台の海側、断崖の上にある展望台からは大海原はもちろん…
第2次世界大戦末期、本土決戦に備えて、大本営(だいほんえい)や政府中核を長野県の松代(まつしろ=現・長野市松代町)に移すという計画のもとに掘られた大地下壕が、松代象山地下壕(まつしろぞうざんちかごう)。秘密裏に工事が開始…