総社大神宮
越前国は、7世紀末の大宝律令(たいほうりつりょう)で越国(こしのくに)が朝廷に近い方から越前国、越中国、越後国に分割して設立。国庁に勤務する国司が、国内の神社を巡礼するのを簡素化するために創建した、越前国の総社が、福井県…
越前国は、7世紀末の大宝律令(たいほうりつりょう)で越国(こしのくに)が朝廷に近い方から越前国、越中国、越後国に分割して設立。国庁に勤務する国司が、国内の神社を巡礼するのを簡素化するために創建した、越前国の総社が、福井県…
福井県小浜市の若狭湾に突き出す内外海半島(うちとみはんとう)。その北端には、奇岩・洞門が見られる景勝地・蘇洞門(そとも)がありますが、断崖絶壁ゆえ道が通じておらず、遊覧船で海側から眺めることになります。蘇洞門の奇岩・洞窟…
福井県若狭町の国道27号(丹後街道)から天徳寺側に入ったところにある落差3mほどの滝が瓜割の滝(うりわりのたき)。落差がわずかに3mほどなのに、国土地理院の地形図に滝の名が入っているのは、湧水の滝で、その湧き出る水は環境…
三方五湖は、三方湖(みかたこ)、水月湖(すいげつこ)、菅湖(すがこ)、久々子湖(くぐしこ)、日向湖(ひるがこ)の5つの湖。福井県道路公社が管理していた三方五湖有料道路(2022年10月に無料化)の名称が三方五湖レインボー…
若狭湾に突き出す福井県美浜町・若狭町の常神半島(つねかみはんとう)は、手つかずの自然が残り福井県屈指の景勝地として知られています。その常神の自然を代表するのが半島の突端に自生する大ソテツの木で、国の天然記念物(指定名称は…
若狭街道の要所として、天正17年(1589年)に若狭の領主となった浅野長政により造られた熊川宿。若狭街道は、18世紀の後半には、小浜から京都へ鯖を運んだことから鯖街道とも呼ばれていましたが熊川宿はその中継地として栄えまし…
天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで、若狭国に建立された国分寺の後継寺院が福井県小浜市国分にある曹洞宗の寺、若狭国分寺。創建当初の国分寺は、地方豪族の氏寺…
「名水と朝市のまち」福井県大野市の閑静な住宅街の中にある有名な湧き水、御清水(おしょうず)は、環境省の名水百選に選ばれた名水。金森長近が大野城を築城した際に、内濠の水の源泉とするため40間四方の水たまりを設けたというのが…
福井県勝山市の平泉寺白山神社は養老元年(717年)、白山を開いた泰澄(たいちょう)が白山登山の際に一林泉を発見し、この地が神明の地であることを悟り、社を建立したのが始まりという古社で、白山の越前側登山口。古くは「平清水」…
古代から御食津神(みけつのかみ=食物を司る神)として海人族に信仰されてきた神で北陸道の総鎮守、越前国一之宮として尊崇されてきた古社が、福井県敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)。大宝2年(702年)、文武天皇の勅命で社殿を創…
『源氏物語』の作者・紫式部(むらさきしきぶ)の父・藤原為時(ふじわらのためとき)は、長徳2年(996年)、越前守(越前国守)として越前に赴任(越前国庁は現在の越前市にあったと推測されますが定かでありません)。その際、娘の…
福井県敦賀市、敦賀湾の湾奥西側を占める全長1.5kmの松原が気比の松原。静岡県の「三保の松原」、佐賀県の「虹の松原」と並ぶ日本三大松原のひとつで、アカマツやクロマツ1万7000本が生い茂り、国の名勝に指定されています。そ…
福井県大野市、一級河川・九頭竜川(くずりゅうがわ)水系九頭竜川に建設されたダムが九頭竜ダム。昭和34年の伊勢湾台風による洪水などの被害により、九頭竜川の治水利水が急務となり、九頭竜川の上流に九頭竜ダム(旧名は長野ダム)を…
刈込池は大野市の北東部、石川県、岐阜県と県境を接する両白山地の三ノ峰(2128m)の南西、願教寺山(1690m)中腹の幅ヶ平(水面標高1075m)に位置する美しい池。池の周囲は400m、最大の水深は4.5m。周囲はブナ林…
福井県越前市の剣豪・佐々木小次郎の生家といわれる高善寺に隣接する公園が小次郎公園。佐々木小次郎像、池や石舞台などが設けられ、春は桜が美しく咲き誇っています。平成15年放映のNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で小次郎…
越前海岸の越前岬背後には水仙の花畑が広がっていますが、梨子ヶ平地区もっとも北端に位置するのが梨子ヶ平台地。梨子ヶ平集落近くには日本の棚田百選に選定の梨子ヶ平千枚田水仙園もありますが、さらにその北側にも水仙畑が広がり、眼下…
越前海岸の突端、越前岬背後の高台には水仙畑が広がっていますが、日本海をバックに咲く水仙畑という絶景を目にできるのが梨子ヶ平園地。入口の駐車場から遊歩道を使って到達することからちょっぴり秘境的な場所になっていますが、ポスタ…
越前町の越前海岸の高台、梨子ヶ平(なしがだいら)地区の世帯(農家数15戸)は、そのすべてが水仙栽培農家で、周囲の傾斜地にはいたるところに水仙畑が広がっています。しかも千枚田のような景観なので、梨子ヶ平千枚田水仙園と呼ばれ…