永平寺
寛元2年(1244年)、宋に4年間留学し天童山景徳寺の如浄禅師に師事した道元禅師が坐禅修行の道場として創建した古刹、福井県永平寺町の永平寺。末寺1万5000寺を数える曹洞宗の大本山で、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲ま…
寛元2年(1244年)、宋に4年間留学し天童山景徳寺の如浄禅師に師事した道元禅師が坐禅修行の道場として創建した古刹、福井県永平寺町の永平寺。末寺1万5000寺を数える曹洞宗の大本山で、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲ま…
曹洞宗の大本山の永平寺。大庫院(だいくいん)は、庫裏(くり)にあたる堂で、1階には修行僧や参籠者の三度の食事を作る「典座寮」と呼ばれる台所となっています。道元禅師は食事の作法を尊ぶ、食事を整えることは、つまりは命を預かる…
曹洞宗の大本山、永平寺。七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、庫院、僧堂、浴室、東司)のなかで、庫院の並びの南外れにあるのが浴室(よくしつ)。その名のとおりに浴場で、水により悟りを開いたといわれる跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)が…
大晦日の除夜の鐘のテレビ中継などで知られるのが、曹洞宗の大本山、永平寺の鐘楼堂。昭和38年に改築された鐘楼堂に重さ5トンという大梵鐘が吊るされています。朝・昼・夕方・夜の4回、修行僧が山門前の鐘楼堂で、鐘を撞いています。
曹洞宗の大本山、永平寺。道元が、寛元2年(1244年)に開いたのが永平寺で、開山の道元禅師の真廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置し、永平寺歴代住職の位牌や全国の曹洞宗寺院住職のを安置するのが承陽殿(じょうようでん)…
曹洞宗の大本山永平寺。幾度かの戦火や火災で諸堂は何度も再建されていますが、現存する最も古い建築物が寛延2年(1749年)築の山門。五間三戸の中国唐時代様式の楼閣門で、両側には仏教の守護神である四天王を祀り、階上には釈迦如…
曹洞宗の開祖・道元は、森羅万象(しんらばんしょう)のすべてに仏があり、人間ひとりひとりの中にも、仏があると説きました。その教えを受け継いできた修行の日々が永平寺にはありますが、その七堂伽藍の中心となるのが仏殿です。俗世間…
曹洞宗の大本山、福井県永平寺町の永平寺。今も多くの修行僧がここで修行をしていますが、法堂(はっとう)は、本堂にあたる堂で、朝のお勤めなどの各種法要がこの建物で行なわれています。380畳敷のという広々とした堂内は、中央に本…
永平寺の傘松閣(さんしょうかく)は、昭和5年に創建、そして道元禅師の750回大遠忌の記念事業で、平成5年から2年の歳月をかけて再建されたもの。1階は参拝者の控室や研修・宿泊のための部屋で、2階が156畳敷きの大広間。別名…
曹洞宗の大本山、永平寺。唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門です。現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門しています。門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られています。立ち入ることはできません…
大同元年(806年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の創建と伝えられる古刹が福井県小浜市の明通寺(みょうつうじ)。鎌倉・室町時代には幕府の帰依を受け、25の子院を擁していたという若狭の名刹です。鎌倉時…
小浜湾の北東にそびえる久須夜ヶ岳(くすやがだけ/618.7m)へ続く全長10.5kmのドライブウェイがエンゼルライン。スダジイ、ヤブツバキ、ミズナラなどの林を抜けて久須夜ヶ岳の山頂直下までドライブウェイが続いています。以…
越前国は、7世紀末の大宝律令(たいほうりつりょう)で越国(こしのくに)が朝廷に近い方から越前国、越中国、越後国に分割して設立。国庁に勤務する国司が、国内の神社を巡礼するのを簡素化するために創建した、越前国の総社が、福井県…
福井県小浜市の若狭湾に突き出す内外海半島(うちとみはんとう)。その北端には、奇岩・洞門が見られる景勝地・蘇洞門(そとも)がありますが、断崖絶壁ゆえ道が通じておらず、遊覧船で海側から眺めることになります。蘇洞門の奇岩・洞窟…
福井県若狭町の国道27号(丹後街道)から天徳寺側に入ったところにある落差3mほどの滝が瓜割の滝(うりわりのたき)。落差がわずかに3mほどなのに、国土地理院の地形図に滝の名が入っているのは、湧水の滝で、その湧き出る水は環境…
三方五湖は、三方湖(みかたこ)、水月湖(すいげつこ)、菅湖(すがこ)、久々子湖(くぐしこ)、日向湖(ひるがこ)の5つの湖。福井県道路公社が管理していた三方五湖有料道路(2022年10月に無料化)の名称が三方五湖レインボー…
若狭湾に突き出す福井県美浜町・若狭町の常神半島(つねかみはんとう)は、手つかずの自然が残り福井県屈指の景勝地として知られています。その常神の自然を代表するのが半島の突端に自生する大ソテツの木で、国の天然記念物(指定名称は…
若狭街道の要所として、天正17年(1589年)に若狭の領主となった浅野長政により造られた熊川宿。若狭街道は、18世紀の後半には、小浜から京都へ鯖を運んだことから鯖街道とも呼ばれていましたが熊川宿はその中継地として栄えまし…