若狭国分寺
天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで、若狭国に建立された国分寺の後継寺院が福井県小浜市国分にある曹洞宗の寺、若狭国分寺。創建当初の国分寺は、地方豪族の氏寺…
天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで、若狭国に建立された国分寺の後継寺院が福井県小浜市国分にある曹洞宗の寺、若狭国分寺。創建当初の国分寺は、地方豪族の氏寺…
「名水と朝市のまち」福井県大野市の閑静な住宅街の中にある有名な湧き水、御清水(おしょうず)は、環境省の名水百選に選ばれた名水。金森長近が大野城を築城した際に、内濠の水の源泉とするため40間四方の水たまりを設けたというのが…
福井県勝山市の平泉寺白山神社は養老元年(717年)、白山を開いた泰澄(たいちょう)が白山登山の際に一林泉を発見し、この地が神明の地であることを悟り、社を建立したのが始まりという古社で、白山の越前側登山口。古くは「平清水」…
古代から御食津神(みけつのかみ=食物を司る神)として海人族に信仰されてきた神で北陸道の総鎮守、越前国一之宮として尊崇されてきた古社が、福井県敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)。大宝2年(702年)、文武天皇の勅命で社殿を創…
『源氏物語』の作者・紫式部(むらさきしきぶ)の父・藤原為時(ふじわらのためとき)は、長徳2年(996年)、越前守(越前国守)として越前に赴任(越前国庁は現在の越前市にあったと推測されますが定かでありません)。その際、娘の…
福井県敦賀市、敦賀湾の湾奥西側を占める全長1.5kmの松原が気比の松原。静岡県の「三保の松原」、佐賀県の「虹の松原」と並ぶ日本三大松原のひとつで、アカマツやクロマツ1万7000本が生い茂り、国の名勝に指定されています。そ…
福井県大野市、一級河川・九頭竜川(くずりゅうがわ)水系九頭竜川に建設されたダムが九頭竜ダム。昭和34年の伊勢湾台風による洪水などの被害により、九頭竜川の治水利水が急務となり、九頭竜川の上流に九頭竜ダム(旧名は長野ダム)を…
刈込池は大野市の北東部、石川県、岐阜県と県境を接する両白山地の三ノ峰(2128m)の南西、願教寺山(1690m)中腹の幅ヶ平(水面標高1075m)に位置する美しい池。池の周囲は400m、最大の水深は4.5m。周囲はブナ林…
福井県越前市の剣豪・佐々木小次郎の生家といわれる高善寺に隣接する公園が小次郎公園。佐々木小次郎像、池や石舞台などが設けられ、春は桜が美しく咲き誇っています。平成15年放映のNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で小次郎…
越前海岸の越前岬背後には水仙の花畑が広がっていますが、梨子ヶ平地区もっとも北端に位置するのが梨子ヶ平台地。梨子ヶ平集落近くには日本の棚田百選に選定の梨子ヶ平千枚田水仙園もありますが、さらにその北側にも水仙畑が広がり、眼下…
越前海岸の突端、越前岬背後の高台には水仙畑が広がっていますが、日本海をバックに咲く水仙畑という絶景を目にできるのが梨子ヶ平園地。入口の駐車場から遊歩道を使って到達することからちょっぴり秘境的な場所になっていますが、ポスタ…
越前町の越前海岸の高台、梨子ヶ平(なしがだいら)地区の世帯(農家数15戸)は、そのすべてが水仙栽培農家で、周囲の傾斜地にはいたるところに水仙畑が広がっています。しかも千枚田のような景観なので、梨子ヶ平千枚田水仙園と呼ばれ…
越前海岸の突端にある岬が越前岬で、海抜132mの断崖の上には昭和15年に初点灯した白亜の越前岬灯台が建っています。一帯は越前加賀海岸国定公園に指定され、海岸段丘の上は水仙の畑。11月〜2月にかけて水仙が咲き乱れ、遊歩道を…
福井県越前町の越前海岸、越前岬灯台の建つ越前岬背後の高台に位置するニホンスイセンの畑があり、散策できる「水仙ゾーン」、日本海の水平線が丸く感じる「越前岬展望台」などが整備されています。センター施設としてガーデンクラブハウ…
越前水仙が群生することで知られている越前海岸の一角、国道305号沿いにある公園が越前水仙の里公園。常時500本〜2000本の水仙が花を咲かせ甘い香りが漂う水仙ドームと、水仙にまつわる歴史や文化などが学べる水仙ミュージアム…
昭和62年に落慶した大師山清大寺(だいしざんせいだいじ)は、臨済宗妙心寺派の寺。身の丈17.0mと奈良の大仏を凌ぐ大きさの「越前大仏」(本尊の毘盧遮那仏)は、中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟のなかにある、竜門奉先寺座像をモ…
戦国時代、柴田勝家とお市の居城だったのが北の庄城。福井市街の中心に位置する北の庄城跡には、柴田勝家と、清州会議以降その妻となったお市を祀る柴田神社が鎮座しています。北の庄城の本丸の跡地に建ち、隣接の柴田公園とともに、往時…
福井駅から南西500mにある柴田公園は、戦国時代末期に柴田勝家の居城・越前北の庄城跡。浅井長政と運命をともにした朝倉氏(朝倉義景)の滅亡後、越前の一向一揆を平定した功績により柴田勝家が越前を領有。1575(天正3)年から…