アプトの道・第二隧道
めがね橋(碓氷第三橋梁)、旧丸山変電所などとともに碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財に指定される明治26年開通のアプト式鉄道で使われたレンガ積みトンネルのひとつ。第二隧道(2号トンネル)は全長112.76m。鉄道庁の建設…
めがね橋(碓氷第三橋梁)、旧丸山変電所などとともに碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財に指定される明治26年開通のアプト式鉄道で使われたレンガ積みトンネルのひとつ。第二隧道(2号トンネル)は全長112.76m。鉄道庁の建設…
めがね橋(碓氷第三橋梁)、旧丸山変電所などとともに碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財に指定される明治26年開通のアプト式鉄道で使われたレンガ積みトンネルのひとつが、アプトの道・第一隧道。国道18号旧道に近い第一隧道は、全…
一級河川・烏川(からすがわ)の水を頭首工(とうしゅこう=取水堰と取水口)で取水し、高崎市内を縦断して潤す長野堰用水路(「疏水百選」に選定)。取水口から8.6km下流の円筒分水施設(円筒分水工)が長野堰用水円筒分水工で、こ…
646(大化2)年正月に発せられた大化改新の詔(みことのり)によって律令政治が開始。地方を治めていた国造(くにのみやつこ)制度は廃止され、大和朝廷から国司(こくし)が任命され、政庁としてしての国府が置かれました。上野国(…
741(天平13)年、聖武天皇の詔(みことのり)で仏教による国家鎮護のため諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)のひとつが上野国分尼寺跡。上野国の国府(政庁)の北西に、僧寺(国分寺)と尼…
国指定史跡の上野国分寺跡のガイダンス施設。古代建築の権威である工藤圭章氏と考古学の大家である坪井清足氏の指導を得て、精密に再現した20分の1スケールの七重塔の模型などで往時の伽藍配置を学べるほか、発掘調査で出土した平瓦、…
741(天平13)年、聖武天皇の詔(みことのり)で仏教による国家鎮護のため諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)のひとつ。上野国(こうずけのくに、かみつけのくに)の国府(政庁)の北西に、…
日本三古碑のひとつ多胡碑に隣接して建てられた博物館が多胡碑記念館。なぜひとつの碑に博物館が必要かというと、多胡碑を一目見ようと全国から訪れる人が多いから。また近年、多胡碑の周辺から多胡郡の郡衙(ぐんが=古代の役所)の正倉…
那須国造碑(栃木県大田原市/国宝)、多賀城碑(宮城県多賀城市/国の重要文化財)と並び日本三古碑に数えられる古代碑が吉井いしぶみの里公園にある多胡碑(たごひ)。さらに金井沢碑(高崎市山名町)、山ノ上碑(高崎市山名町)ととも…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳の総称が保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。西光寺境内となった薬師塚古墳を除く一帯は広さ12.9haの歴史公園「上毛野はにわの里公園…
「上毛野はにわの里公園」(「日本の歴史公園100選」選定)にあるビジターセンター的な役割を担った考古博物館がかみつけの里博物館。博物館の周囲には保渡田古墳群(二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳)の3基の100m級の前方後…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳の総称が保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。いずれも墳丘長は100mもある大きなもので、二重の濠(ほり)を巡らし、多量の埴輪を並べて…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3基の100m級の前方後円墳の総称が国の史跡に指定される保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。3つの古墳のもっとも南にあるのが二子山古墳。墳長108m…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3基の100m級の前方後円墳の総称が国の史跡に指定される保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。3つの古墳の中央にあるのが八幡塚古墳。二子山古墳に次いで…
群馬県高崎市街の中心部・高松町にあり、土塁や堀、復元された乾櫓(いぬいやぐら)と東門などが、往時をしのばせているのが高崎城址。前身は室町時代に和田義信が築いた和田城(和田さんのルーツにも)ですが、廃城になり荒廃。現在の高…
高崎駅の西、観音山丘陵に呉服商・山田徳蔵が大正7年に着工し、昭和39年2月に88歳で生涯を閉じるまでの間、約50年間にわたって独力で築いたのが洞窟観音と、回遊式日本庭園の徳明園。高崎のシンボルとなっている白衣大観音より以…
高崎城は城の西を流れる烏川の河岸段丘を利用し、本丸を囲むように現・和田橋側に西郭(西の丸)、北に榎郭、東に二之郭(二の丸)を配していました。さらに二之郭(二の丸)をカバーするように周囲を三之郭(三の丸)で囲み、その東側に…
高崎城・乾櫓は、もともとは平屋の土蔵のような建物でしたが第3代藩主・安藤重博(あんどうしげひろ/1657年〜1695年に藩主)が櫓に改築しています。明治維新後は、下小鳥町に移築され納屋として使用されていましたが、昭和52…