清荒神清澄寺
兵庫県宝塚市にある清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は、寛平8年(896年)、宇多天皇の勅願によって建てられたとされる真言三宝宗の大本山。開山当初は現在の北東の山腹にありましたが、数々の兵乱で焼け落ち、現在地に再…
兵庫県宝塚市にある清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は、寛平8年(896年)、宇多天皇の勅願によって建てられたとされる真言三宝宗の大本山。開山当初は現在の北東の山腹にありましたが、数々の兵乱で焼け落ち、現在地に再…
創建年代は定かでありませんが少なくとも平安時代の記録に残される古社が兵庫県西宮市にある西宮神社。全国に3500社あるという商売繁盛の神・福の神「えびす神」の総本社で「西宮のえべっさん」として親しまれています。1月9日〜1…
洲本城は三熊山の山頂にある模擬天守の建つ上の城が有名ですが、市街地にあるのが下の城。上の城と一体として築城された城ですが、現存する石垣と水堀は大坂夏の陣の後、淡路島が徳島藩・蜂須賀氏の所領となって以降、淡路支配の拠点とし…
洲本城は、洲本市街を北に見下ろす標高125mの三熊山の山頂に築かれた中世の城。室町時代の1526(大永6)年に三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた東西800m、南北600mに及ぶ西日本最大規模の山城。秀吉の淡路攻めで落…
洲本市の中央に鎮座する厳島神社。地元では淡路島弁財天と呼ばれています。祭神は、安芸の宮島・厳島神社(総本社)と同じで「宗像三女神」の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。神仏習合時代には仏教の女神の弁財天と習合していたた…
洲本市街と南淡町を結ぶ県道76号(南淡路灘水仙ライン)沿いにあり、紀淡海峡を一望にする斜面に500万本の水仙が咲く私営の観光花園が立川水仙郷。急斜面で石ころが多い立川地区は営農には適さない地。その地を戦後、個人の力で美し…
淡路島の北端、明石海峡に面した江崎に明治4年に建設された石造灯台が江埼灯台。設計は灯台の父と呼ばれるR.H.ブラントンで、1867(慶応3)年、徳川幕府と英国公使が兵庫開港に備えて結んだ大坂条約によって建設された5基(江…
淡路島最高峰で、淡路島の南東部に連なる諭鶴羽山(ゆづるはさん/標高607.9m=一等三角点)から海へと落ちる急傾斜の斜面7haにわたって水仙が自生する自然の花園が灘黒岩水仙郷。一帯は瀬戸内海国立公園に指定され、温暖な気候…
神戸市北区山田町の神戸市立鵯越墓園内にある大仏が鵯越大仏(ひよどりごえだいぶつ)。戦前、神戸市が4年の歳月をかけて建立したという異色の大仏で昭和7年12月3日に開眼。像高12.54mのコンクリート製大仏で、大仏前の広場か…
兵庫県美方郡香美町にある高野山真言宗の寺、長楽寺。奈良時代の天平年間(729年~749年)に行基によって創建された八鹿山薬師寺が前身と伝えられる古刹で、平成6年築の大仏殿には釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の木造大仏3体(…
805(延暦24)年、最澄(伝教大師)が唐(中国)からの帰途、兵庫の和田岬に上陸。自刻の薬師如来像を安置し、能福護国密寺を開いたのが始まりという天台宗の古刹が能福寺。寺伝によれば日本で最初の密教の教化霊場ということに。平…
九州(新門司港)と大阪(大阪南港)を結ぶ名門大洋フェリー。瀬戸内海航路のため来島海峡大橋、瀬戸大橋、明石海峡大橋をくぐりますが、注目は新門司港発19:50の2便。明石海峡大橋をくぐるのが予定通過時間では7:10。明石海峡…
「世界遺産姫路城十景」にも数えられる男山配水池公園。つまりは男山の山頂は、姫路城の天守群の左側から初日の出が昇るというベストショットポイント。
浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の故郷は、播州赤穂(ばんしゅうあこう)。現在の兵庫県赤穂市です。赤穂市では赤穂浪士とは呼ばず、赤穂義士と「義士」扱い。赤穂藩の側からその節義を礼賛した歴史観ですが、実は人形浄瑠…
江戸城松之大廊下で播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)を切りつけた事件が起こったのが、元禄14年3月14日午前11時頃。その夕刻に江戸を発った藩士が、…
赤穂城内の米蔵があった地に建つのが赤穂市立歴史博物館。5つの連なる白壁土蔵の建物は、かつての赤穂藩米蔵を再現。赤穂の名を世に知らしめた塩と義士のほか、城と城下町、旧赤穂上水道など、4つのテーマに分かれており、それぞれパネ…
『忠臣蔵』(『仮名手本忠臣蔵』)で知られる赤穂藩主・浅野家、さらに永井家、森家と赤穂藩の歴代藩主の菩提寺が赤穂市にある花岳寺(かがくじ)。1645(正保2)年建立の曹洞宗の寺で、赤穂城の塩屋惣門を移築した山門をくぐった境…
浅野長直(あさのながなお)の赤穂藩入封以来、家老職を務めた大石家3代の長屋門。間口28間(約50.5m)、奥行45間5尺(約83m)という大邸宅でしたが、1729(享保14)年の火災で建物の大半を消失し、長屋門だけが現存…