御崎公園
兵庫県神戸市兵庫区御崎町1丁目にある伸びやかに芝生が広がる公園が、御崎公園(みさきこうえん)。戦前は鐘淵紡績(現・クラシエホールディングス)の兵庫工場、戦後は神戸競輪場(昭和35年廃止)があった場所で、現在は御崎公園球技…
兵庫県神戸市兵庫区御崎町1丁目にある伸びやかに芝生が広がる公園が、御崎公園(みさきこうえん)。戦前は鐘淵紡績(現・クラシエホールディングス)の兵庫工場、戦後は神戸競輪場(昭和35年廃止)があった場所で、現在は御崎公園球技…
兵庫県宝塚市売布山手町にある古社が、売布神社(めふじんじゃ)。社伝によれば、推古天皇18年(610年)の創建といい、祭神である下光比売命(したてるひめのみこと)が里人に稲作と、麻を紡ぎ布を織ることを教えたと伝えています。…
兵庫県神戸市中央区波止場町、神戸港のメリケンパーク、BE KOBE モニュメント近くにあるのが、神戸港移民船乗船記念碑。平成13年4月28日に建立された海外移住者の功績を讃えるための記念碑で、明治41年4月28日に日本初…
兵庫県宝塚市中山寺2丁目、長尾山丘陵の南へ延びる尾根の先端部、中山寺境内にある古墳が、中山寺古墳。白鳥塚古墳とも呼ばれ、埋葬施設として現存する全長が16.2mもある大型の横穴式石室を備え、竜山石製の家形石棺が置かれていま…
兵庫県神戸市灘区六甲山町、兵庫県道16号(明石神戸宝塚線)沿いの六甲山記念碑台(六甲山ビジターセンター)にあるのが、「六甲開山の祖」と称されるイギリス人貿易商、アーサー・ヘスケス・グルーム像。毎年6月下旬頃に像の前で『六…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かる太閤橋のたもと、湯けむり広場にあるのが、茶人太閤像。豊臣秀吉は羽柴秀吉時代の三木合戦の頃からたびたび有馬を訪れ、正室のねね(北政所)など伴って湯治に訪れ、天正17年(…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かるねね橋のたもとにあるのが、ねねの像。ねねとは、豊臣秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)のこと。念仏寺は北政所の別邸とも呼ばれ、秀吉とともにたびたび湯治に訪れ、薬師堂…
兵庫県佐用郡佐用町平福にある江戸時代の旗本陣屋の門が、平福陣屋門。山城の利神城(りかんじょう)廃城後、平福は松平氏5000石の旗本領で代官支配となりました。江戸時代、1万石以下の小藩の城を「陣屋」と呼び、その邸宅の入口に…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿。因幡街道と寄り沿うように流れる佐用川に架けられた、金倉橋の西側たもとは、江戸時代、平福藩の松原処刑場だった場所で、処刑人の追善供養のために建てられたと伝えられるの…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序…
兵庫県佐用郡佐用町、利神城(りかんじょう)の麓に位置し、因幡街道随一の賑わいをみせた宿場町が、平福宿(ひらふくしゅく)。慶長・元和年間(1596年〜1623年)の30年間ほどは利神城の城下町として、その後は宿場町として栄…
兵庫県佐用郡佐用町平福、因幡街道の平福宿にあるかつて本陣跡が、平福本陣跡(ひらふくほんじんあと)。往時は700坪もの広大な敷地を誇っていましたが、現在は素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)の「お旅所」で、白壁の門や回…
兵庫県加西市北条町の羅漢寺の境内には、丈1m前後の459体の素朴な石仏が並んでいます。それが北条の五百羅漢。慶長年間(1596年~1614年)頃の制作と推定される高見石(凝灰岩)に刻まれた五百羅漢像で、誰が何の目的で作っ…
兵庫県加西市鶉野町、第二次世界大戦の最中に海軍が開設した鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)・滑走路跡の南西側にあるのが、鶉野飛行場跡地巨大防空壕シアター。巨大な地下防空壕を利用して、戦争遺跡「鶉野フィールドミュージアム」…
兵庫県加西市鶉野町にある第二次世界大戦の最中に海軍が開設した鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)・滑走路跡の北端部に建つ、戦争遺跡「鶉野フィールドミュージアム」の拠点となる施設が、soraかさい。戦闘機「紫電改」と、「九七…
兵庫県加西市鶉野町にあるのが、鶉野飛行場跡(うずらのひこうじょうあと)。第⼆次世界⼤戦の戦局悪化に際して、パイロットを養成するために海軍が姫路海軍航空隊を開場、九七式艦上攻撃機を使用した実用訓練が行なわれていました。滑走…
兵庫県西宮市、生瀬から有馬へ向かう有馬街道沿いにある奇勝が、蓬萊峡(ほうらいきょう)。蓬萊とは、神仙思想で東の海にある仙人が住むといわれた仙境のこと。大剣、小剣、屏風岩などと名付けられた花崗岩の奇岩が林立する迫力ある景観…
兵庫県丹波市柏原町にある江戸時代の柏原藩藩庁の遺構が、柏原藩陣屋跡。柏原藩2万石の居館及び政庁で、正徳4年(1714年)、織田信休(おだのぶひさ)が創建、文政元年(1818年)に焼失後、再建されています。現存する建物は旧…