JR福知山線廃線敷・北山第一トンネル
兵庫県西宮市、JR福知山線の複線化の弊害になった武庫川渓谷沿いの路線(生瀬駅〜武田尾駅)をトンネル化し、廃線にしたことで、渓谷沿いに続く4.7kmの廃線跡がJR福知山線廃線敷として平成28年に開放。生瀬駅側から歩いて、最…
兵庫県西宮市、JR福知山線の複線化の弊害になった武庫川渓谷沿いの路線(生瀬駅〜武田尾駅)をトンネル化し、廃線にしたことで、渓谷沿いに続く4.7kmの廃線跡がJR福知山線廃線敷として平成28年に開放。生瀬駅側から歩いて、最…
兵庫県西宮市、JR福知山線の複線化の弊害になった武庫川渓谷沿いの路線(生瀬駅〜武田尾駅)をトンネル化し、廃線にしたことで、渓谷沿いに続く4.7kmの廃線跡がJR福知山線廃線敷として平成28年に開放。旧線にあった唯一のトラ…
兵庫県西宮市、JR福知山線の複線化の弊害になった武庫川渓谷沿いの路線(生瀬駅〜武田尾駅)をトンネル化し、廃線にしたことで、渓谷沿いに続く4.7kmの廃線跡がJR福知山線廃線敷として平成28年に開放。旧線に12ヶ所あったト…
兵庫県加西市(かさいし)に連なる善防山(251m)から笠松山(244.4m)へと続く山並みが、加西アルプス。低山ながらアルペン的な風貌で、加西アルプスと呼ばれています。笠松山の山頂に築かれた展望台が、笠松山展望台。加西市…
兵庫県南あわじ市にある、淡路人形浄瑠璃の保存・上演団体が、淡路人形座。淡路島に伝承される人形芝居の淡路人形浄瑠璃は国の重要無形民俗文化財。うず潮観潮船の出航する道の駅福良にある人形浄瑠璃の専用劇場で公演が行なわれ、ファミ…
兵庫県南あわじ市、淡路島の南端、鳴門海峡に臨む福良港から出港するうず潮観潮船を運航するのがジョイポート淡路島。うずしおクルーズと呼ばれるうず潮観潮船に就航するのは「咸臨丸」(2代目)、「日本丸」の2隻。ともに歴史的な帆船…
2025年3月15日(土)~4月20日(日)、兵庫県加西市で、兵庫県立フラワーセンター『チューリップまつり2025』が開催されます。兵庫県立フラワーセンターといえばチューリップといわれるほどで、350品種、16万球のチュ…
兵庫県加西市豊倉町、飯盛山(標高124m)とその山麓の亀倉池一帯、46haにおよぶ松の自然林をそのままに生かし、4500種の花が咲く全国でも有数の花の公園が、兵庫県立フラワーセンター。リードで繋いで、フンの始末を各自で行…
兵庫県神戸市兵庫区御崎町1丁目にある伸びやかに芝生が広がる公園が、御崎公園(みさきこうえん)。戦前は鐘淵紡績(現・クラシエホールディングス)の兵庫工場、戦後は神戸競輪場(昭和35年廃止)があった場所で、現在は御崎公園球技…
兵庫県宝塚市売布山手町にある古社が、売布神社(めふじんじゃ)。社伝によれば、推古天皇18年(610年)の創建といい、祭神である下光比売命(したてるひめのみこと)が里人に稲作と、麻を紡ぎ布を織ることを教えたと伝えています。…
兵庫県神戸市中央区波止場町、神戸港のメリケンパーク、BE KOBE モニュメント近くにあるのが、神戸港移民船乗船記念碑。平成13年4月28日に建立された海外移住者の功績を讃えるための記念碑で、明治41年4月28日に日本初…
兵庫県宝塚市中山寺2丁目、長尾山丘陵の南へ延びる尾根の先端部、中山寺境内にある古墳が、中山寺古墳。白鳥塚古墳とも呼ばれ、埋葬施設として現存する全長が16.2mもある大型の横穴式石室を備え、竜山石製の家形石棺が置かれていま…
兵庫県神戸市灘区六甲山町、兵庫県道16号(明石神戸宝塚線)沿いの六甲山記念碑台(六甲山ビジターセンター)にあるのが、「六甲開山の祖」と称されるイギリス人貿易商、アーサー・ヘスケス・グルーム像。毎年6月下旬頃に像の前で『六…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かる太閤橋のたもと、湯けむり広場にあるのが、茶人太閤像。豊臣秀吉は羽柴秀吉時代の三木合戦の頃からたびたび有馬を訪れ、正室のねね(北政所)など伴って湯治に訪れ、天正17年(…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かるねね橋のたもとにあるのが、ねねの像。ねねとは、豊臣秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)のこと。念仏寺は北政所の別邸とも呼ばれ、秀吉とともにたびたび湯治に訪れ、薬師堂…
兵庫県佐用郡佐用町平福にある江戸時代の旗本陣屋の門が、平福陣屋門。山城の利神城(りかんじょう)廃城後、平福は松平氏5000石の旗本領で代官支配となりました。江戸時代、1万石以下の小藩の城を「陣屋」と呼び、その邸宅の入口に…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿。因幡街道と寄り沿うように流れる佐用川に架けられた、金倉橋の西側たもとは、江戸時代、平福藩の松原処刑場だった場所で、処刑人の追善供養のために建てられたと伝えられるの…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿・金倉橋のたもとが、宮本武蔵決闘の場。慶長元年(1596年)、弱冠13歳で人生最初の決闘を行なったのが、この金倉橋のたもとだとつたえられています。『五輪書』自序(序…