新永吉の棚田
鹿児島県指宿市池田、池田湖の東岸にある総面積約3.4ha、41枚ほどある石積みの棚田が、新永吉の棚田(しんながよしのたなだ)。棚田の上部を走る鹿児島県道247号(東方池田線)沿いにあるやすらぎ公園からは、眼下に棚田、池田…
鹿児島県指宿市池田、池田湖の東岸にある総面積約3.4ha、41枚ほどある石積みの棚田が、新永吉の棚田(しんながよしのたなだ)。棚田の上部を走る鹿児島県道247号(東方池田線)沿いにあるやすらぎ公園からは、眼下に棚田、池田…
鹿児島県指宿市西方、JR指宿枕崎線・宮ヶ浜駅の北にあるのが、宮ヶ浜港防波堤(みやがはまこうぼうはてい)。捍海隄(かんかいてい)と呼ばれる江戸時代末期、天保5年(1834年)に築造された大規模石造防波堤で、国の登録有形文化…
鹿児島県指宿市(いぶすきし)十二町、縄文時代〜平安時代の重層遺跡として知られる橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)の北側に建つ南九州の古代史を通史として解説するミュージアムが、指宿市考古博物館 時遊館Coccoはしむれ。展…
鹿児島県指宿市(いぶすきし)十二町にある縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡が、橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)。縄文時代が弥生時代よりも以前の時代であることを初めて立証した貴重な遺跡で、開聞岳の爆発で埋まった集落遺…
鹿児島県南九州市頴娃町(えいちょう)、標高577.2mの尾巡山を中心とした高原地帯に広がる自然公園が、千貫平自然公園(せんがんびらしぜんこうえん)。指宿スカイラインと通称される鹿児島県道17号(指宿鹿児島インター線)沿い…
鹿児島県薩摩川内市、下甑島(しもこしきじま)北端の円崎岬にある円山(標高162.4m)と尾屋山(174m)の鞍部に広がる園地が、夜萩円山公園(よはぎまるやまこうえん)。東屋からは日本地質百選にも選定される鹿島断崖を眺望し…
鹿児島県出水市にある島津家始祖・島津忠久(しまづただひさ)ゆかりの古社が、箱崎八幡神社。平成10年に直径3.4m、高さ4m、重さ5000kgという「日本一の大鈴」と大鈴を吊るす神門が完成、平成15年には神社に伝わる三十六…
世界的にツルの越冬地として有名な鹿児島県出水市にある、ツルの情報を発信する日本で唯一の博物館が、出水市ツル博物館クレインパークいずみ。建物は卵を抱いた親ヅルに子ヅルが寄り添った姿をイメージ。ツルを代表とする出水の自然に関…
鹿児島県出水市平和町、出水ゴルフクラブ南側に現存する3基の遺構が、出水海軍航空基地掩体壕(いずみかいぐんこうくうたいきちえんたいごう)。掩体壕とは、戦闘機などを爆撃から守るために築かれたコンクリート製のシェルターのこと。…
鹿児島県出水市平和町、出水海軍航空隊跡に築かれた公園が、特攻碑公園(とっこうひこうえん)。「雲こそわが墓標 落暉よ碑銘を飾れ」と刻まれた石碑が戦闘指揮所地下壕の上に立ち、哨舎跡などが現存。往時の地下壕は、見学可能な鹿児島…
鹿児島県鹿屋市高須町、川津神社境内にある露岩が、キス岩(西郷岩)。西郷隆盛ゆかりの地(田中吉右衛門邸にたびたび滞在)という高須地区なので、人面岩には西郷岩と名がつくのも納得がゆきます。高須橋近くの崖にある岩で、地元ではキ…
鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方…
鹿児島県南九州市知覧町にある戦争遺跡が、三角兵舎跡。空襲を避けるため陸軍知覧基地(知覧飛行場)から少し離れた松林の中に築かれた特攻隊員たちが半地下式の三角兵舎があった場所で、出撃するまでの数日間を過ごしていた場所です。現…
鹿児島県志布志市志布志町、志布志港近くにある大隅線・志布志線のターミナル駅・志布志駅に隣接した志布志機関区を公園として整備したのが、志布志鉄道記念公園。C58蒸気機関車(C58 112)も展示され、例年12月上旬〜1月初…
鹿児島県鹿屋市吾平町、大隅線・吾平駅(おおすみせん・あいらえき)跡を再生し、ホームを記念物として保存した公園が、吾平鉄道記念公園。1面2線の島式ホームの駅で、国鉄キハ20系気動車(キハ20 452)と車掌車(ヨ8953)…
鹿児島県鹿屋市串良町、海軍航空隊串良基地跡にある戦争遺跡が、鹿屋地下壕第一電信室。串良基地から飛び立った特別攻撃隊員が突撃前に送る電信を受信していた地下壕で、壕内では、音声ガイダンスによるモールス信号の再現などが行なわれ…
鹿児島県指宿市西方、公衆浴場の「二月田温泉 殿様湯」、江戸時代の薩摩藩主・島津家の温泉別荘の湯殿跡「殿様湯跡」に隣接して建つのが、湯権現(ゆのごんげん)。神仏習合時代に温泉で快癒することを願い祀られた権現で、現在は湯権現…
鹿児島県指宿市西方、第10代薩摩藩主・島津斉興(しまづなりおき)が、湯治目的を兼ねて造った別邸の場所にある公衆浴場が、二月田温泉殿様湯。温泉施設は明治28年に民間に払い下げられ、以来、庶民の公衆浴場として愛されてきました…