記念鑑三笠
日露戦争の際に、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が乗る連合艦隊の旗艦として、黄海海戦、日本海海戦で活躍したのが戦艦「三笠」。明治35年にイギリス(ヴィッカース社)で建造され、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された敷…
日露戦争の際に、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が乗る連合艦隊の旗艦として、黄海海戦、日本海海戦で活躍したのが戦艦「三笠」。明治35年にイギリス(ヴィッカース社)で建造され、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された敷…
横浜港近くにある中世鎌倉、戦国後北条、開国と文明開化などを解説する県立の博物館が神奈川県立歴史博物館。旧館部分は明治37年11月に建てられた旧横浜正金銀行本店で、ネオ・バロック様式の建物は国の重要文化財。平成30年4月に…
横浜のご当地ソングは横浜、ヨコハマ、YOKOHSAMAで始まる曲だけでもざっと110曲ほど。そんな横浜のご当地ソングの中でも駅名までに影響を与えたのが青江三奈の歌った『伊勢佐木町ブルース』。伊勢佐木町商店街(イセザキモー…
駿河国駿東郡深良村(現・静岡県裾野市深良)の名主・大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、4年の歳月をかけ寛文10年(1670年)、箱根外輪山の湖尻峠を越えて芦ノ湖の水を駿河(静岡県)側に流すため、1342mにわたるトンネル…
建長5年(1253年)、日蓮(にちれん)に帰依した土地の地頭・石井長勝(いしいながかつ)が屋敷内に法華堂を建立し、日蓮に寄進したのに始まると伝えられる鎌倉の古刹が長勝寺。日蓮聖人が、この地で帝釈天の使いである白い猿に助け…
日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)により、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港すると、現在の日本大通りの西側に居留地が設けられますが、その海岸沿いの道がBUND(海岸通り)。関東大震災後に海岸は瓦礫で埋め…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
横浜開港にあたり、吉田屋新田(現在の横浜スタジアム、横浜公園一帯)に外国人と日本人の両方が使えるという港崎遊郭を設置しましたが、その遊郭街が慶応2年10月20日(1866年11月26日)火事で焼失。防火対策として英国人R…
横浜スタジアムのある横浜公園一帯は、幕末までは横浜村の海岸部で、安政3年(1856年)に埋め立てられた太田屋新田で陸に。その後、開港とともにさらに埋め立てられて港崎町(みよざきちょう)となり、その一画に港崎遊郭がつくられ…
慶応3年(1867年)、開港場となった横浜の馬車道では、沿道の各商店が競って柳と松を植栽。日本での近代的な街路樹の先駆となり、明治5年、日本最初のガス灯導入で、さらに美しい街路となります。関内駅近くの馬車道広場には「近代…
横浜市内では山手公園の次に古い西洋式公園が横浜スタジアムがある横浜公園。実は、ここが日本人に開放された日本初の公園。しかも日本初の野球の国際試合が行なわれた公園にもなっています。文化庁の登録記念物で、「旧居留地を源として…
時代劇の『大岡越前』で知られる大岡忠相(おおおかただすけ)は、曽祖父・大岡忠正の時代に、秀吉による徳川家康の江戸入封の際、家康に従い三河から関東に入り、翌天正19年(1591年)5月、相模国高座郡堤村(現・茅ヶ崎市堤町)…
臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第五位が浄妙寺。正式名は稲荷山浄妙廣利禅寺。文治4年(1188年)、源頼朝の忠臣として知られる足利義兼(あしかがよしかね)が栄西門下の退耕行勇(た…
横浜の馬車道にあるのが「日本最初のガス灯」記念碑と復刻されたガス灯。「横浜の父」ともいわれ、易によって運勢・吉凶などを判断する高島易断(たかしまえきだん)としても知られる高島嘉右衛門(たかしまかえもん)が、明治5年9月2…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
大山詣での御師(おし)の町並みが残る大山ケーブル駅(山麓駅)と中間駅の大山寺駅を経て阿夫利神社駅(あふりじんじゃえき=山上駅)を結ぶ大山観光電鉄の運行するケーブルが大山ケーブルカー。大山ケーブルバス停からみやげ屋や名物の…
標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「…
日米修好通商条約の批准書交換のために万延元年(1860年)、遣米使節がアメリカに派遣されましたが、その時随行した咸臨丸に乗船の町田房蔵が、再度渡米し、明治2年6月に横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で販売した「あいすくり…