御霊水(下御霊神社)
下御霊神社の境内に湧き出す湧水。手水舎に注ぎ出すが水をくみに来る人も多い名水のひとつ。京の三名水の一つに挙げられている梨木神社の染井と同じ水脈で、毎日くみに来るという地元の人も多いとか。実は、長きにわたって枯れていた井戸…
下御霊神社の境内に湧き出す湧水。手水舎に注ぎ出すが水をくみに来る人も多い名水のひとつ。京の三名水の一つに挙げられている梨木神社の染井と同じ水脈で、毎日くみに来るという地元の人も多いとか。実は、長きにわたって枯れていた井戸…
社伝によれば、貞観5年(863年)、京に創建という古社が下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)。創建当初は出雲氏一族の居住地にあった下出雲寺の鎮守社だったという。古来から京都御所の産土神(うぶすながみ=土地を守る神様)として…
承和年間(834年~848年)、山代淡海(やましろのおおえ)が国家鎮護のために創建したと伝わる古刹が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)。六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界をさし、平安時代に東…
平安初期に厄除け、旅行安全の神として建立された古社が、京都市東山区粟田口に鎮座する粟田神社(あわたじんじゃ)。石段下の道は旧東海道・東山道にあたり、一帯は「京の七口」のひとつ粟田口にあたります。源義経は奥州に向かう際に、…
平安京の鬼門にあたるため、桓武天皇(かんむてんのう)が不動明王を安置したことに始まる真言宗の単立寺院が狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)。明治の廃仏毀釈後荒廃したものを昭和19年に再興。現在は芸事の上達や交通安全祈…
社伝によれば、渡来系・秦氏族の秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)によって和銅4年(711年)創建という古社で、平成23年に鎮座1300年を迎えたのが京都・伏見に鎮座する伏見稲荷大社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体が神域。商…
京都府福知山市にある福知山城は、江戸時代には福知山藩の藩庁だった場所で、「続日本100名城」に選定。天正8年(1580年)頃、在地豪族・横山氏の砦であった横山城を、丹波平定を行なった戦国武将・明智光秀が改修し、福智山城と…
真言宗醍醐派総本山・醍醐寺。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されていますが、もともとは上醍醐と呼ばれる山深い醍醐山頂上一帯を中心に、修験者の霊場として発展してきたのです。一般に醍醐寺として知られる下醍醐から徒…
東山三十六峰・今熊野山の山麓に建つ空海(弘法大師)創建と伝わる古刹(泉涌寺の塔頭)が今熊野観音寺。西国三十三所霊場の第15番札所、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第1番札所にもなっています。身丈一尺八寸の本尊・十一面観世音菩…
奈良時代の末期、宝亀元年(770年)に光仁天皇(こうにんてんのう)の勅願により創建した古刹が三室戸寺(みむろとじ)で本山修験宗の別格本山。天皇・貴族の崇拝を集め、西国三十三所第10番札所にもなっている。5000坪の大庭園…
用明天皇2年(587年)、聖徳太子が創建と伝わる古刹が京都の六角堂(紫雲山頂法寺)。西国三十三所第18番札所で、六角堂、六角さんという通称名で通っています。太子沐浴の池の跡といわれ、池のほとりに小野妹子が開いた坊があった…
西国三十三所の第19番札所が革堂(こうどう)と通称される行願寺(ぎょうがんじ)。平安時代の寛弘元年(1004年)創建という京の古刹です。創建当時は一条通りに建っていましたが豊臣秀吉の京の都市改革よって天正18年(1590…
長元2年(1029年)、源算上人が創建した京都・西山の名刹で、後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされたのが善峯寺(よしみねでら)。天台宗の単立寺院で、西国三十三所第20番札所。応仁の乱で焼失した寺を再興したのは、5代将軍・…
慶雲2年(705年)、大伴古磨(おおとものこまろ)によって創立されたと伝わる古刹が京都府亀岡市の穴太寺(あなおじ)で、菅原道真も太宰府に流される折に立ち寄っています。西国巡礼を復活させた花山(かざん)法皇(在位984〜9…
京都、愛宕山系の高雄山の中腹にある真言宗の別格本山が神護寺(じんごじ)。高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)きっての古刹で、天応元年(781年)の創建。もとは平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺で大同4年(8…
京都御苑の西側を通る烏丸通(からすまどおり)に面した護王神社。平安京造営に貢献した、和気清麻呂(わけのきよまろ)が祀られる神社です。護法善神」として祀られたかつての社殿は神護寺の境内にありましたたが、神仏分離令を経て明治…
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)にほど近い天台宗の寺で、比叡山延暦寺の別院が赤山禅院(せきざんぜんいん)。円仁(えんにん=慈覚大師)の遺命により仁和4年(888年)、天台座主・安慧(あんね)が創建。京都御所から見て表鬼…
天正10年(1582年)6月2日、主君・織田信長を本能寺で討った明智光秀ですが、備中高松城(現・岡山県岡山市)から戻った羽柴秀吉軍と6月13日、山崎の戦いで激戦を展開。これに敗れて坂本城へと落ち延びる途中、小栗栖の藪で落…