鎮西大社 諏訪神社
長崎県長崎市、193段の石段を上った上西山にあるのが、諏訪・森崎・住吉の三社を祀る鎮西大社 諏訪神社(正式名は諏訪神社で、鎮西大社は通称)。寛永2年(1625年)、青木賢清(あおきかたきよ)が長崎奉行・長谷川権六の支援を…
長崎県長崎市、193段の石段を上った上西山にあるのが、諏訪・森崎・住吉の三社を祀る鎮西大社 諏訪神社(正式名は諏訪神社で、鎮西大社は通称)。寛永2年(1625年)、青木賢清(あおきかたきよ)が長崎奉行・長谷川権六の支援を…
長崎県長崎市内の中央を流れる中島川に架る中島川石橋群のひとつ。東新橋は、延宝元年(1673年)には架橋されていたという歴史ある橋で、寛政12年(1800年)架橋の石橋が昭和57年の長崎大水害で流出。現在の橋は昭和61年、…
長崎県長崎市出島町、日蘭交流400周年を記念して、長崎港ターミナル近くに平成12年にオープンした長崎出島ワーフは、レストランやショップなど約15店の専門店が揃う大型施設。海に面した150mのウッドデッキを備えた2階建ての…
長崎県長崎市、現存する長崎の石造洋館のなかでは最大規模の建物が旧香港上海銀行長崎支店記念館。渡米留学し建築を学んだ下田菊太郎(しもだきくたろう)が香港上海銀行長崎支店として設計、明治37年に竣工したもので国の重要文化財。…
長崎県平戸市にあるカトリック教会が平戸ザビエル記念教会。「寺院と教会の見える風景」を構成するゴシック様式の教会堂で、ペパーミントグリーンの外観が印象的。大正2年にカトリック平戸教会として仮聖堂が建てられたのがルーツで、現…
長崎県平戸市街地の六角井戸(明の商人が使用したと伝えられる井戸)近く、浦の町天満宮の登り口にある巨大なソテツ(蘇鉄)が、浦の町大ソテツ。江戸時代初期の貿易商「川崎屋」の庭に植えられていたもので、樹齢およそ400年と推測さ…
長崎県新上五島町青方郷、五島列島・中通島(なかどおりじま)にある教会がカトリック大曽教会。キリシタン禁教令の厳しい頃に、大村藩の外海(そとめ)地方から五島へ逃れてきた信徒が、明治12年、大曽裏迫に天主堂を建立したのが始ま…
長崎県佐世保市から平戸に至る海域に大小208の島々が広がる九十九島(くじゅうくしま)。九十九島パールシーリゾートから出航する九十九島遊覧船「パールクィーン」は観光遊覧船としては初のバリアフリー対応。日本初の電気推進船「み…
長崎県平戸市、明治26年に建てられた第37代平戸藩主・松浦詮(まつらあきら)の住居(旧松浦家住宅)を再生したミュージアムが。土台の石垣は安土城の築城法である高石垣。平戸藩主・松浦家代々の秘蔵品を中心に展示していますが、必…
長崎県長崎市立山、江戸時代、長崎奉行所立山役所があった跡地に建てられたミュージアムが長崎歴史文化博物館。江戸時代から近代にかけての海外交流に関する資料5万点あまりを収蔵、当時の長崎奉行所の部屋などを一部復元した「長崎奉行…
長崎県平戸市田平町は、松浦半島にあり、海を挟んで対岸が平戸島。カトリック田平教会は、平戸瀬戸を見下ろす高台に建つ、ロマネスク様式のレンガ作りの教会。大正4年から3年の歳月をかけて、周辺の信者たちの手によって建築されたもの…
長崎県佐世保市三浦町にある歴史ある教会堂がカトリック三浦町教会。佐世保駅前にある教会で佐世保大空襲から奇跡的に残った聖堂は佐世保のシンボル的存在。聖心天主堂とも呼ばれ、明治32年に市内の谷郷町に建てられた佐世保教会が昭和…
長崎県長崎市坂本町・目覚町にある外国人墓地が、坂本国際墓地。明治21年に開設された外国人墓地で、墓地にはトーマス・グラバー、グラバー・ツル夫妻、その息子の倉場富三郎・ワカ夫妻も眠っています(新坂本国際墓地に埋葬)。埋葬者…
長崎県五島市蕨町にある教会堂(聖堂)が旧五輪教会堂。明治14年、五島列島の久賀島浜脇に浜脇教会として建てられたもので、昭和6年、現在地(五島市五輪地区)に移築。現存する木造教会堂としては最古の部類もので、国の重要文化財に…
長崎県上五島町、幕末まで無人島だった五島列島・中通島の東に位置する頭ヶ島(かしらがしま)に建つ聖堂が頭ヶ島天主堂。現存する教会は、大正8年に竣工した長崎県内で唯一の、また全国的にも珍しい切石積みの教会堂(設計は鉄川与助)…
長崎県新上五島町、五島列島・中通島の奈摩湾を見下ろす小高い丘に建つ天主堂が青砂ヶ浦天主堂。寛政9年(1797年)、大村藩(西彼杵半島外海地方)の農民が迫害を逃れて当地に移住、明治11年頃に集会所を造ったのがルーツ。現存す…
長崎県五島市、五島列島・福江島西岸、玉之浦町にある、知る人ぞ知る温泉地が荒川温泉。江戸時代後期に温泉湧出の記録がある歴史ある出湯で、大正時代頃から漁師が体を温めるのにも使われていました。昔ながらの温泉旅館もありますが、日…
長崎県五島市富江町山崎、五島列島・福江島の南端部、ネンチ鼻とムシマ鼻の間にある、砦の跡が山崎の石塁(勘次ヶ城)。眼前に大海原が広がる半島の先端部に位置し、迷路のような石塁が巡らされていることから倭寇(わこう)の拠点だった…