最教寺
空海が唐から帰国後、最初に護摩を焚いたと伝えられる地で、「西の高野山」とも呼ばれる九州の大師信仰の中心地が長崎県平戸市の最教寺。慶長12年(1607年)、第26代平戸藩主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)がそれまで建っていた曹…
空海が唐から帰国後、最初に護摩を焚いたと伝えられる地で、「西の高野山」とも呼ばれる九州の大師信仰の中心地が長崎県平戸市の最教寺。慶長12年(1607年)、第26代平戸藩主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)がそれまで建っていた曹…
長崎県平戸市にある、鎖国時代の日蘭貿易の遺構が、平戸オランダ商館横のオランダ塀。元和4年(1618年)、付近の民家50戸を取り払った大規模な商館の増築工事にともない誕生したのがオランダ塀。商館の目隠しと、火事などの延焼か…
長崎県平戸市、平戸島(平戸市街)と本土側の田平(たびら)地区を結ぶ平戸瀬戸に架かる全長665mの吊り橋が平戸大橋。国道383号の一部で、かつては有料道路だった橋です(平戸大橋有料道路/平成22年4月1日無料化)。平戸大橋…
長崎県平戸市、瑞雲寺前の坂で、坂の上を見上げると、石畳と白壁、そして寺院に重なる平戸ザビエル記念教会の尖塔。上方に正宗寺、手前に光明寺、その下に端雲寺、3つの寺院と教会の尖塔という組み合わせは観光ポスターにもよく使われる…
長崎県平戸市、平戸島から生月大橋で渡った生月島(いきつきしま)の絶景の海岸。断崖が連続する生月島西岸の海岸線のなかでも、とびきり印象的な断崖が、塩俵の断崖。高さ20m、南北500mもの玄武岩の柱状節理の断崖が連なっていま…
佐賀県平戸市、平戸島から生月大橋で渡った生月島(いきつきしま)の最北端に突き出した大婆鼻(おおばえ)。大バエ断崖といわれる90mほどの断崖が連なり、晴れた日には壱岐、対馬を望む絶景の地。先端には白亜の大バエ灯台(大婆鼻灯…
長崎県平戸市、復元された平戸オランダ商館前の海岸は、東インド会社の帆船の寄港を前提に、江戸時代初期の元和2年(1616年)、元和4年(1618年)、寛永16年(1639年)と3回にわたって港湾整備、護岸工事がされた埠頭。…
長崎県平戸市、平戸オランダ商館(復元施設)近くにあるのがオランダ埠頭。埠頭といっても海岸の護岸部分に石段が残されているのみですが、石段に恵比寿神が祀られることから別名えびす埠頭とも呼ばれ、商館が建てられていた時の荷揚げ用…
平戸オランダ商館は、慶長14年(1609年)に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社(VOC)が、平戸城主・松浦隆信(まつらたかのぶ)の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点。現存する遺構はオランダ塀、オ…
長崎県平戸市、平戸湾に注ぐ鏡川に架かるアーチ型の石橋がオランダ橋(幸橋)。平戸城と城下町をつなぐため、寛文9年(1669年)に平戸藩主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)が木橋を架けたのが前身。元禄15年(1702年)、平戸藩主…
長崎県西海市にある七ツ釜鍾乳洞は昭和3年に発見され、昭和11年、国の天然記念物に指定された鍾乳洞群。約3000万年前の新生代古第三紀層にできた比較的に新しい鍾乳洞で、石灰分を含んだ砂岩でできています。現在35ヶ所ほど発見…
長崎県内を中心に行なわれる『精霊流し』ですが、毎年8月15日には島原市でも『島原精霊流し』が行なわれています。実際に海に流さない長崎市とは異なり、切り子灯篭(きりことうろう)にロウソクを灯した精霊船(竹と麦藁を使って手作…
毎年8月15日に長崎市で行なわれる『精霊流し』(しょうろうながし)。初盆の人の遺族が故人の霊を弔うために手作りの精霊船(しょうろうぶね)を造り、「流し場」と呼ばれる終着点まで船を曳いて、極楽浄土へ送り出すという長崎の伝統…
函館山、六甲山(掬星台)と並び「日本三大夜景」に数えられるのが長崎市の・稲佐山。公園となった稲佐山の一等地に建つ円形の展望台が稲佐山山頂展望台で、展望台1階には「ハートツリー」、「プロミスハート」が設置され、屋上の床面に…
標高332.9mの稲佐山は、長崎市内屈指のビューポイント。「1000万ドルの夜景」といわれる夜景は函館山、六甲山(摩耶山掬星台)と並んで「日本三大夜景」にひとつ。稲佐山の山上一帯は公園として整備され、展望台や展望レストラ…
長崎市街の北西部にそびえる標高332.9mの稲佐山と、山麓の淵神社を結ぶのが長崎ロープウェイ。昭和34年に運行を開始し、淵神社駅と稲佐岳駅の高度差298m、距離1090mをわずか5分で登ってしまいますが、ガイドが眼下に見…
島原の乱で知られる長崎県島原市の島原城。元和4年(1618年)から7年余りを費やし、肥前日野江藩の藩主となった松倉重政が築城。森岳と呼ばれた小高い丘の上に築かれ、別名を「森岳城」といわれていました。松倉氏・高力氏など4氏…
長崎県平戸市にあった城で、江戸時代には平戸藩松浦(まつら)氏の居城だったのが平戸城(ひらどじょう)。下松浦党の棟梁・松浦鎮信(法印)が戦国時代に日之嶽に海(平戸瀬戸)を天然の外堀にして築城した平山城が始まり。三方の海を外…