生駒山山頂一等三角点
奈良県生駒市、生駒ケーブルの生駒山上駅を降りた先、生駒山(いこまさん)の山頂部は、レトロな飛行塔のある生駒山上遊園地。飛行塔の南、ミニ蒸気機関車の走るSL列車の線路に囲まれるという特異な場所にあるのが、生駒山山頂一等三角…
奈良県生駒市、生駒ケーブルの生駒山上駅を降りた先、生駒山(いこまさん)の山頂部は、レトロな飛行塔のある生駒山上遊園地。飛行塔の南、ミニ蒸気機関車の走るSL列車の線路に囲まれるという特異な場所にあるのが、生駒山山頂一等三角…
「奈良は、教科書や修学旅行で見聞きしたことだけじゃない。大人になって気づく奥深い再発見ができる場所」をコンセプトにJR東海が展開する『いざいざ奈良』キャンペーン。2024年春は、『いざいざ奈良』大和四寺編で、5回目となる…
奈良県奈良市山陵町、ヤマト政権の王墓を多く含む佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の1基、佐紀石塚山古墳(墳丘長218mの前方後円墳)の南に隣接して築かれているのが、佐紀高塚古墳(さきたかつかこふん)。宮内庁により、…
奈良県奈良市五条町、6度目の渡航でようやく日本に来ることのできた唐僧・鑑真(がんじん)が、平城京に開いた戒律を学ぶ人たちのための修行の道場が、唐招提寺。鑑真は、天保宝字7年5月6日(763年6月25日)、この寺で没し、開…
奈良県奈良市佐紀町、国営平城宮跡歴史公園として復原整備が進む平城宮跡。令和4年3月に総事業費56億円を費やして復原されたのが、大極門(だいごくもん)。国家的儀式が行なわれた第一次大極殿の周囲を築地(ついじ)回廊で囲んだ第…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが鑑真が開いた唐招提寺の金堂で、9世紀初頭まで…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのひとつが、平城宮跡「平城宮跡の空」。国営平城宮跡歴史公園(…
奈良県奈良市登大路町、興福寺の北、奈良公園バスターミナルに隣接して建つのが奈良県庁ですが、奈良県庁舎屋上広場は時間限定で開放され(11月~3月は13:00~17:00)、若草山、生駒山、奈良市内を一望にする展望台になって…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」。東…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、元興寺「日本最古の屋根瓦」。「元興」は、日本…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、春日山原始林「滝坂の道」。滝坂の道は、柳生街…
奈良県奈良市の国営平城宮跡歴史公園、朱雀門ひろばにあるのが復原遣唐使船。飛鳥時代・舒明天皇2年(630年)〜平安時代初頭・承和5年(838年)、唐に16回派遣された使節が遣唐使。長さ30m、幅9.6m、排水量300t、積…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが春日大社「春日鳥居の前でたたずむ鹿」。春日大…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが興福寺「若草山からの興福寺遠望」。興福寺のシン…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが東大寺「二月堂の眺め」。国宝に指定される二月堂…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、「新・南都八景」を発表。江戸時代に流布していた「南都八景」の令和バージョンで、SNSでの発信を期待し、…
奈良県香芝市(かしばし)磯壁6丁目、腰折田公園として整備されるのが相撲発祥伝承の地。『日本書記』垂仁天皇7年7月7日の条に記される当麻蹴速(たいまのけはや)と出雲の国の野見宿禰(のみのすくね)が天皇の前で相撲とった場所と…
奈良県生駒郡斑鳩町龍田、聖徳太子が法隆寺を建てる際、その鎮守社としたのが、龍田神社(たつたじんじゃ)。法隆寺創建の地の選定に迷っていたところ、龍田明神が翁の姿になって現れ、斑鳩が適地と告げたと伝わる古社です。