京終駅

京終駅

奈良県奈良市南京終町にあるJR桜井線(万葉まほろば線)の駅が、京終駅(きょうばてえき)。関西の難読駅名のひとつで、文字取り京(平城京)の終わり、奈良の都の南端に位置することが名の由来で、明治31年5月11日、奈良鉄道が開業した歴史ある駅です。復元された開業当時のレトロな駅舎も素敵。

平城京の外京(左京)の南端に位置するのが地名の由来

京終駅

現在の駅舎は、明治31年、奈良鉄道が建築した木造平屋建て駅舎を、平成30年に復元工事でリニューアルしたもの。

観光案内所やカフェを併設した奈良市京終駅観光案内所「ハテノミドリ」もあり、奈良駅からひと駅という立地なので観光の起点としても絶好。
元駅務室だった場所が駅舎カフェに変身しています。

駅は天理街道に面し、奈良町都市景観形成地区に指定された「ならまち」へも徒歩10分ほどの距離です。
奈良町は、平城京遷都の際に、外京(東側に張り出した左京)として多くの社寺が置かれたのが始まりで、奈良町都市景観形成地区に選定される49.3haも、元興寺の旧境内を中心とするエリアです。
外京(左京)があったのは、現在のJR奈良駅の東側、JR京終駅の北側一帯で、北は東大寺転害門に通じる東西道路、東は興福寺と奈良国立博物館の間を通る南北道路です。

つまり、文字通り、この京終駅のある場所が、外京(左京)の南端、京(平城京)の終(おわり)ということに。
平城京の人口は10万人と推測され、聖武天皇の時代(8世紀の半ば)には仏教と政治が結びついて華やかな天平文化が全盛期を迎えています。

その後、藤原氏の台頭による天皇専制の中央集権体制形骸化、そして仏教が過度に権力に干渉することを嫌って、平安京に遷都されるのです。

京終駅
名称 京終駅/きょうばてえき
所在地 奈良県奈良市南京終町
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
奈良町の町並み

奈良町の町並み

奈良県奈良市、奈良町は中世以降発展し、近世に完成した歴史的な家並みが奈良町の町並み。和銅3年(710年)に遷都した平城京が造営されたおり、都の東に南都七大寺のひとつ元興寺(がんごうじ)の境内地として造られたのが奈良町の始まり。江戸時代の庚申

奈良市ならまち格子の家

奈良市ならまち格子の家

奈良県奈良市元興寺町にある奈良町の伝統的な町家を細部まで再現した施設。間口が狭く奥行きが深い建物で、みせの間、中の間、奥の間、中庭、離れ、蔵、渡り廊下でつながった風呂場、箱階段(階段状の家具)で上がった2階などが見学できます。奈良町の伝統的

奈良町資料館

奈良町資料館

奈良県奈良市西新屋町、元興寺の門前町として栄え、かつての奈良町の面影を今に伝える西新屋町にある私設の資料館が奈良町資料館。昭和60年にオープンした資料館の館内では、奈良町に伝わる元興寺ゆかりの仏像や各種民具、懐かしい昔の看板など数千点を収集

徳融寺

徳融寺

奈良県奈良市、ならまち地域にある融通念仏宗の寺、徳融寺。奈良時代の貴族、藤原豊成(ふじわらのとよなり=中将姫の父)の邸跡と伝えられる地に建つ寺で、『当麻曼荼羅』(たいままんだら)で知られる中将姫と藤原豊成の宝篋印石塔(ほうきょういんせきとう

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ