寺泊中央海水浴場
南北16kmの海岸線に寺泊中央海水浴場、金山海水浴場、郷本海水浴場と続く寺泊海岸。遠浅の寺泊中央海水浴場は汀線(浜の長さ)650m、奥行250mと広々としており、新潟県内でも人気のビーチとなっています。寺泊中央海水浴場で…
南北16kmの海岸線に寺泊中央海水浴場、金山海水浴場、郷本海水浴場と続く寺泊海岸。遠浅の寺泊中央海水浴場は汀線(浜の長さ)650m、奥行250mと広々としており、新潟県内でも人気のビーチとなっています。寺泊中央海水浴場で…
旧守門村の中心部・魚沼市須原地区にある重要文化財目黒邸は、寛政9年(1797年)に建てられた割元庄屋(大庄屋職)の役宅を兼ねた豪農住宅。自然石を積み上げた野面積み(のづらづみ)の石垣で塀を築き、門柱に貫(ぬき)をかけた冠…
魚沼市の大倉地区(旧守門村)にある重要文化財に指定された農家が佐藤家。佐藤家は寛永年間(1630年頃)に大倉の住人となった農家。現存する建物(重要文化財佐藤家住宅)は元文3年(1736年)に4代目の佐藤由左衛門が建てたも…
信濃川河口部は新潟港の一部になっていますが、その海に出る直前、新潟港の入出港を管制する新潟海上保安部新潟信号所の建つ新潟市中央区海辺町(新潟島)と対岸の東区臨海町を結ぶ新潟みなとトンネルには人道(自転車歩行者道)が設置さ…
佐渡への大型フェリーや、ジェットフォイルが発着するのが「佐渡汽船 新潟港ターミナル」。最上階が無料の展望台になっている朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)の北側、まさに日本一の大河・信濃川の河口に位置しています。ジェ…
新潟県長岡市街を貫くメインストリート、大手通の角地にある「米百俵之碑」。もとは戊辰戦争の敗戦後、長岡藩の文武総督に任命された小林虎三郎が、昌福寺の本堂を間借りして開いた「国漢学校」を明治3年(1870年)6月15日、当地…
新潟県長岡市、ハイブ長岡(長岡産業交流会館)と県立近代美術館の間にあるのが米百俵の群像。山本有三の小説にもなった『米百俵』は、戊申戦争(ぼしんせんそう)後、飢饉で苦しんでいる長岡藩に支藩の三根山藩から送られた100俵の義…
大同元年(806年)頃、空海が皇城鎮護のため鬼門にあたる佐渡に建立したと伝えられる真言宗智山派の古刹が蓮華峰寺(れんげぶじ)。小比叡山と称し、周囲の山が八葉の蓮華形をしていることから蓮華峰寺と名付けられています。境内には…
承久の乱に敗れ佐渡配流の順徳上皇に仕え、のち阿仏房日得(あぶつぼうにっとく)となった遠藤為盛(えんどうためもり)とその妻・千日尼の開基と伝えられる佐渡市真野地区の古刹、妙宣寺。遠藤為盛は、佐渡に流された日蓮に帰依し、再三…
室町時代初期に活躍した猿楽師・世阿弥(ぜあみ)。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成していますが、足利義教と不仲になり、永享6年(1434年)、72歳の時に佐渡に流されています。その世阿弥が配所された寺とされるのが佐…
「佐渡ヶ島の800年前の世界をリアルに体感」というミュージアムが佐渡市真野地区にある佐渡歴史伝説館。佐渡の風土に溶け込み、豊かな文化を佐渡に伝えた先人がなぜ佐渡に流されたか、奈良時代に始まる佐渡配流の歴史、配流された順徳…
33棟の能舞台が残る佐渡(新潟県佐渡市)。その数は日本全国に現存する能舞台の3分の1といわれています。江戸時代から盛んになった佐渡の神事能。佐渡能の中心的地位を保ってきた本間家は佐渡宝生流の本拠として当代で18代目を数え…
佐渡の宿根木村(現・佐渡市宿根木)は16世紀末頃、出雲崎から廻船業者が移住して廻船業を始めたと伝えられる湊町。南佐渡最大の湊として発展し、北前船の全盛期の江戸後期から明治半ばには経営者である船主と船頭、そして船乗り、船大…
佐渡、小木港の西3kmにある、宿根木(しゅくねぎ)。江戸中期から明治にかけて、日本海岸と大坂(現・大阪)などを結ぶ、北前船の寄港地となり、佐渡廻船の基地でもあったため、多くの廻船問屋や船大工が居を構えた場所。公開民家「清…
佐渡市(旧畑野町)の小倉地区(小倉ダムの北側)、標高400m前後の急斜面に張り付くように広がる千枚田が小倉の千枚田。江戸時代の初期の慶安3年(1650年)、佐渡金山の繁栄による人口増の米不足で、佐渡奉行の新田奨励策で開田…
沖縄本島南部、久高島を眼前にする南城市(旧玉城村)にあるグスク(城)が玉城城(たまぐすくぐすく)。玉城(たまぐすく)の久高島には琉球開闢の神・アマミキヨが上陸したといわれ、その聖地が残されていますが、玉城城も城としては規…
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により建立された佐渡最古の寺が佐渡国分寺。七堂伽藍を構えていたが享禄2年(1529年)に火災で焼失し、享禄4年(1531年)に再建されています。当時の金堂、講堂の礎石は境…
後鳥羽上皇が執権・北条義時と対峙し、鎌倉幕府倒幕の狼煙(のろし)を上げた承久の乱(じょうきゅうのらん)。倒幕に失敗し佐渡に流罪となった後鳥羽天皇の第三皇子・順徳上皇は、24歳の若さで佐渡に流され、46歳で崩御するまでの2…