山田池公園
大阪府枚方市にある山田池と、その周囲の豊かな自然を生かした大阪府営の公園が山田池公園。75.2haの園内には水生花園や、ハナショウブ園、アジサイ園など花木園をはじめ、オーストラリアの植物が植栽されるクイーンズランド庭園、…
大阪府枚方市にある山田池と、その周囲の豊かな自然を生かした大阪府営の公園が山田池公園。75.2haの園内には水生花園や、ハナショウブ園、アジサイ園など花木園をはじめ、オーストラリアの植物が植栽されるクイーンズランド庭園、…
大正9年、逓信省に新設された航空局が大阪で初となる民間空港の設置場所に白羽の矢を立てたのが大正区船町の木津川河口。ここに昭和4年4月1日に木津川飛行場をオープンさせたのです。木津川の河口部に空港を設置したのは当時は飛行機…
大阪府岬町の淡輪(たんなわ)にある西陵古墳(さいりょうこふん)は、全長210mの巨大な前方後円墳。大きさだけでいえば、近くにある宇度墓古墳より大きく、全国ランキングの26位。周囲には堀が巡っていますが、その南側が畑と地続…
創建は定かでありませんが、延喜11年(911年)、醍醐天皇の勅命で創建と伝えられる大阪府岬町の古社、船守神社。淡輪(たんのわ)の氏神で、紀船守(きのふなもり)、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)の被葬者と推測される五十瓊敷…
大阪府の南端にある岬町、南海本線の淡輪(たんのわ)駅前には巨大な前方後円墳があり、これが、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)。宇度墓古墳は、垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の「…
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
通天閣の真下に建つ坂田三吉(阪田三吉)の顕彰碑が王将碑。坂田三吉は、明治3年に堺県大鳥郡舳松村(現在の大阪府堺市堺区協和町)に生まれ、将棋の鬼才として活躍。昭和21年に没するも昭和30年に日本将棋連盟より王将位を追贈され…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高130mの位置にあるのが秀望台。ヘアピンカーブの曲がり角、つまりは尾根の突端にあるため眺望は抜群ですが、…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高190mの位置にあるのが五月台。山麓が標高50m以下なので、比高は150m近くあることになります。広い駐…
池田市の中央にある標高314.9mの五月山を中心に整備された公園が五月山公園(さつきやまこうえん)。昭和24年から自然公園として整備され、桜、ツツジ、紅葉の名所で、園内にはハイキングコースや「池田市五月山動物園」、「都市…
葛城山(858m)の北麓、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)の開創と伝えられる古刹が大阪府岸和田市の牛滝山大威徳寺で、かつては48もの僧房をもつ葛城修験の一霊場として栄えました。古くから、紅葉…
建武元年(1334年)、楠正成(くすのきまさしげ)が和田高家(にぎたたかいえ=楠木正季の三男、楠木正成の甥)に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築いたのが岸和田城の始まり。和田氏はこの地を根拠地としたことから「岸の和田氏」と…
大阪府池田市城山町にある中世の城跡を公園化したのが池田城跡公園。室町時代から戦国時代にかけて旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた池田城主・池田氏の居城跡を整備して歴史公園としたもの。池田市で唯一の池泉回遊式…
5世紀頃、呉の国から渡来して機織りや染色の技術を日本に伝えたという呉服姫(くれはひめ=呉織媛/くれはとりのひめ)を祀る大阪府池田市の古社が呉服神社(くれはじんじゃ)。絹織物を呉服物というのは、呉服姫が伝えたからなのだとか…
新梅田シティスカイビルの2棟を連結した39階と40階、そして屋上が空中庭園展望台。39階にはチケットカウンターのほか、スカイラウンジ「スターダスト」、中国料理「燦宮」、40階には展望室と喫茶コーナー「カフェSKY40」が…
大阪港のウォーターフロントにある観光名所、天保山ハーバービレッジにある天保山大観覧車。天保山ハーバービレッジは、水族館の海遊館を中心に、サントリーミュージアムや天保山マーケットプレース、広場や公園、ホテルなどが揃い、天保…
大阪市を流れる木津川に架かる全長323.5m、大阪府道5号大阪港八尾線の橋が千本松大橋。大阪では珍しいループ橋で昭和48年に完成。3000トン級の貨物船が安全に航行できるように水面からの高さ33mが必要で、橋台部に2階式…
大阪港に臨む、天保山公園にある小さなピークが天保山。江戸時代に河川の浚渫の残土で築かれた人工の山ですが、国土地理院発行の地形図にも「天保山」の山名が記されるため、標高4.53mで三角点のある場所として「日本で一番に低い山…