三島鴨神社
社伝によれば淀川鎮守の社として淀川河口の中洲に祀られたのが始まりという古社。伊予・大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社、伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社とともに「三三島」(さんみしま)と呼ばれ、三島神社(山祇神社)のルーツと…
社伝によれば淀川鎮守の社として淀川河口の中洲に祀られたのが始まりという古社。伊予・大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社、伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社とともに「三三島」(さんみしま)と呼ばれ、三島神社(山祇神社)のルーツと…
大阪府大東市(だいとうし)と四條畷市(しじょうなわてし)の境、標高315.9mの飯盛山に築かれた中世の山城が飯盛山城(いいもりやまじょう/大東市では飯盛城と称しています)。京や大坂を抑え、大和への進軍も可能な飯盛山城は、…
天王寺公園の北端にある小さな山が茶臼山。大阪市内で最大級の前方後円墳との説もありますが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が上町台地を掘削したときの残土を盛った丘ともいわれています。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳…
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方は最終決戦に臨み、防御が薄くなった大坂城に籠もるのでなく、天王寺周辺に陣を敷くことに決めました。真田幸村(真田信繁)は、前年に敵将・徳川家康が陣を築いた茶臼山を本陣としますが…
天王寺公園内にある林泉回遊式庭園が慶沢園(けいたくえん)。明治時代〜大正時代に京都の平安神宮神苑、円山公園、清風荘、無鄰菴など数々の庭園を作庭した第7代小川治兵衞の施工で、飛石や橋をめぐらせ、躍動する水の動きを足下に感じ…
大阪市では住吉公園(明治6年開園)に次ぐ歴史を誇る明治42年に開園した公園が天王寺公園。昭和62年に開かれた『天王寺博覧会』を契機に平成2年に、水と緑をふんだんに取り入れた都市公園へとリニューアルされました。公園北端の茶…
大阪府枚方市にある山田池と、その周囲の豊かな自然を生かした大阪府営の公園が山田池公園。75.2haの園内には水生花園や、ハナショウブ園、アジサイ園など花木園をはじめ、オーストラリアの植物が植栽されるクイーンズランド庭園、…
大正9年、逓信省に新設された航空局が大阪で初となる民間空港の設置場所に白羽の矢を立てたのが大正区船町の木津川河口。ここに昭和4年4月1日に木津川飛行場をオープンさせたのです。木津川の河口部に空港を設置したのは当時は飛行機…
大阪府岬町の淡輪(たんなわ)にある西陵古墳(さいりょうこふん)は、全長210mの巨大な前方後円墳。大きさだけでいえば、近くにある宇度墓古墳より大きく、全国ランキングの26位。周囲には堀が巡っていますが、その南側が畑と地続…
創建は定かでありませんが、延喜11年(911年)、醍醐天皇の勅命で創建と伝えられる大阪府岬町の古社、船守神社。淡輪(たんのわ)の氏神で、紀船守(きのふなもり)、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)の被葬者と推測される五十瓊敷…
大阪府の南端にある岬町、南海本線の淡輪(たんのわ)駅前には巨大な前方後円墳があり、これが、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)。宇度墓古墳は、垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の「…
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
通天閣の真下に建つ坂田三吉(阪田三吉)の顕彰碑が王将碑。坂田三吉は、明治3年に堺県大鳥郡舳松村(現在の大阪府堺市堺区協和町)に生まれ、将棋の鬼才として活躍。昭和21年に没するも昭和30年に日本将棋連盟より王将位を追贈され…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高130mの位置にあるのが秀望台。ヘアピンカーブの曲がり角、つまりは尾根の突端にあるため眺望は抜群ですが、…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高190mの位置にあるのが五月台。山麓が標高50m以下なので、比高は150m近くあることになります。広い駐…
池田市の中央にある標高314.9mの五月山を中心に整備された公園が五月山公園(さつきやまこうえん)。昭和24年から自然公園として整備され、桜、ツツジ、紅葉の名所で、園内にはハイキングコースや「池田市五月山動物園」、「都市…
葛城山(858m)の北麓、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)の開創と伝えられる古刹が大阪府岸和田市の牛滝山大威徳寺で、かつては48もの僧房をもつ葛城修験の一霊場として栄えました。古くから、紅葉…
建武元年(1334年)、楠正成(くすのきまさしげ)が和田高家(にぎたたかいえ=楠木正季の三男、楠木正成の甥)に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築いたのが岸和田城の始まり。和田氏はこの地を根拠地としたことから「岸の和田氏」と…