『いっぽん松』歌碑
岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園にあるのが、『いっぽん松』歌碑。『いっぽん松』は、東日本大震災の震災遺構のひとつ「奇跡の一本松」をモチーフに、喜多條忠が作詞、船村徹が作曲、陸前高田市出身の千昌夫が歌い、平成23…
岩手県陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園にあるのが、『いっぽん松』歌碑。『いっぽん松』は、東日本大震災の震災遺構のひとつ「奇跡の一本松」をモチーフに、喜多條忠が作詞、船村徹が作曲、陸前高田市出身の千昌夫が歌い、平成23…
北海道札幌市手稲区手稲山口の山口緑地にある近代に築かれた塚が、手稲山口バッタ塚(ていねやまぐちばったづか)。北海道開拓時代の、明治13年〜明治18年、トノサマバッタの大群が札幌周辺にも押し寄せ、その駆除のためにバッタの…
東京(竹芝桟橋)~大島~神津島航路をメインに運航する東海汽船の大型貨客船「さるびあ丸」(6099t)。そのフィンスタビライザーに「さるびあハート」と呼ぶハートマークを付けたもの。ひょっとすると世界初かもしれないというフィ…
東京都荒川区南千住3丁目、隅田川の畔、白鬚橋近くにある古社が、石浜神社。神亀元年(724年)、聖武天皇の命によって創建されたと伝えられ、源頼朝が奥州征伐の際に戦勝を祈願するなど、関東武士の尊崇を集めた神社です。中世には一…
東京都荒川区南千住2丁目にある浄土宗の寺が、延命寺。昭和57年、小塚原刑場の傍らに開かれた小塚原回向院から分院独立し開山した寺で、境内には首切り地蔵と呼ばれる地蔵尊が祀られています。一帯は江戸時代に江戸に2ヶ所あった江戸…
愛媛県西予市宇和町の高台、国道56号沿いに建つ愛媛県の歴史と民俗に関する資料を展示したミュージアムが、愛媛県歴史文化博物館。ロビーやフロアはリゾートホテルのような造りで、施設の規模も県立の博物館としては全国有数。
愛媛県西条市・久万高原町、標高1982m(天狗岳)と四国はもちろん、西日本の最高峰が、石鎚山(いしづちさん)。飛鳥時代の天武天皇14年(685年)、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)が修行の末、開山したと伝わり、富士山…
愛媛県上浮穴郡久万高原町、日本三大カルストに数えられる四国カルストのなかでも牧草地が広がる姫鶴平、カルストの東側に位置する五段高原は、四国カルスト随一のビュースポット。羊の群にも似たカレンフェルトの向こうに四国連山が一望…
愛媛県上浮穴郡久万高原町、石鎚山の南斜面が大きく崩れた石鎚カルデラに、面河川(仁淀川)が深いV字谷を刻んだ9.6kmの渓谷が、面河渓(おもごけい)。周囲を1500m~2000m近い四国山地に囲まれ、滝、淵、早瀬が連続。「…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが小塚原富士と呼ばれる富士塚。この塚があることから、一帯が小塚原と呼ばれるようになったという地名の由来で、神が降臨した塚を江戸時代後…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが矢立初めの句碑で、元禄2年3月27日(1689年5月16日)、46歳になった松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅に千住から出発、最初の句を…
東京都荒川区、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。延暦14年(795年)、役小角(えんのおづぬ)の弟子・黒珍が、牛頭天王(ごずてんのう=素盞雄大神の本地仏で祇園精舎の守護神)、飛鳥権現が降臨した奇岩・瑞光石(…
東京都足立区千住橋戸町、隅田川に架る千住大橋の北詰、千住大橋公園に立つのが、奥の細道・矢立初の碑(おくのほそみちやたてはじめのひ)。矢立初とは旅行記などの書き初めの意。元禄2年「弥生も末の7日」松尾芭蕉は『奥の細道』に、…
愛媛県西条市、霊峰・石鎚山を御神体と仰ぐ、石鎚信仰。石鎚山の山頂に鎮座するのが、石鎚神社・頂上社(奥宮)です。社殿には3体の御神像(玉持ちの御神像、鏡持ちの御神像、剣持ちの御神像)が祀られ、夏山の登拝シーズン期間のみ、神…
愛媛県西条市、石鎚山中腹(7合目)、石鎚登山ロープウェイを下車し、徒歩25分ほどの場所に鎮座するのが石鎚神社・成就社(中宮)。神仏習合時代には奥前神寺があった地で、ここから上部が女人禁制の霊域でした。
愛媛県西条市、西日本の最高峰・石鎚山(いしづちさん)を御神体とする神社が、石鎚神社。山麓の本社(口之宮)、中腹の成就社(中宮)、山頂の頂上社(奥宮)、そして石鎚ドライブウエイの終点に土小屋遥拝殿の4社があり、本社と成就社…
愛媛県西条市の石鎚神社 で、毎年7月1日〜7月10日に斎行されるのが、石鎚山・お山開き大祭(石鎚神社夏季大祭)。古くから「お山開き」と呼ばれる石鎚山の開山祭で、参加者は「お山詣り」、「石鎚導者(どうじゃ)」と称…
東京都千代田区有楽町2丁目、数寄屋橋公園近くにあるのが、明治大学発祥の地記念碑。明治大学というと神田駿河台のイメージがありますが、明治14年1月17日、麹町区数寄屋橋の一角、旧島原藩上屋敷「三楽舎」を校舎に明治法律学校と…