曹源寺
岡山県岡山市中区、岡山郊外、円山にある臨済宗妙心寺派の寺が曹源寺。元禄11年(1698年)、後楽園造営で知られる岡山藩2代藩主・池田綱政(いけだつなまさ)が、池田家の菩提寺として建立した寺。本堂背後の山腹には、岡山藩主池…
岡山県岡山市中区、岡山郊外、円山にある臨済宗妙心寺派の寺が曹源寺。元禄11年(1698年)、後楽園造営で知られる岡山藩2代藩主・池田綱政(いけだつなまさ)が、池田家の菩提寺として建立した寺。本堂背後の山腹には、岡山藩主池…
愛知県岡崎市井田町にあった中世の城が井田城。徳川家康生誕の岡崎城と、徳川家(松平家)の菩提寺・大樹寺(だいじゅじ )を結ぶ線の中間という、重要な位置にあり、徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)の…
東京都八丈町大賀郷、八丈島の西岸、八重根港に近い船戸鼻にある溶岩流の岩海が南原千畳岩(南原千畳敷)。整備された南原園地の南端にあるのが宇喜多秀家と豪姫の像です。平成9年、岡山城築城400年を記念して、岡山城の方角を仲睦ま…
東京都八丈町大賀郷、八丈島の西岸、八重根港に近い船戸鼻にある溶岩流の岩海が南原千畳岩(南原千畳敷)。八丈島火山・八丈富士(西山)の噴火で流出した、玄武岩の溶岩流が固まってできた溶岩台地で、幅100m、長さ500mという大…
東京都八丈町大賀郷にあるのが豊臣政権で五大老のひとりだった宇喜多秀家の墓。備前岡山城主として備中・備前・美作57万4000石を領有する大名でしたが、関ヶ原の合戦で西軍の副大将となり、敗戦。前田利長らの懇願で、死罪を免れて…
山口県萩市呉服町、中級武士の暮らした江戸屋横丁なかほどにあり、木戸孝允(きどたかよし)の生家の3軒南に位置するのが青木周弼旧宅(あおきしゅうすけきゅうたく)。青木周弼は、漢方医学を学んだ後に長崎にシーボルトに西洋医学を学…
山口県萩市呉服町、参勤交代で藩主が通った「御成道」(おなりみち)を北限とする呉服町の3本の小路のひとつが江戸屋横丁。西から菊屋、伊勢屋、江戸屋という横丁は、かつてその地にあった豪商の名前。江戸屋横丁には、木戸孝允(きどた…
山口県萩市呉服町、江戸屋横丁に面して建つのが木戸孝允旧宅(きどたかよしきゅうたく)。幼少時、向かいの桂家の養子となったため、桂小五郎の名もある木戸孝允。養子に出た直後養母が亡くなり、結局この生家で青春時代を過ごしています…
山口県萩市、呉服町〜南古萩町の間、290mほどの道(萩市道春若町南片河線)の通称が菊屋横丁(菊屋横町)。かつて参勤交代で藩主が通った「御成道」(おなりみち)を北限とする3本の小路のひとつで、「日本の道100選」にも選定。…
山口県萩市、萩城城下町・呉服町にあり、萩藩の御用商人として藩を支えた豪商の館が重要文化財菊屋家住宅。現存する建物は江戸時代初期のもので、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが残り、うち4棟を一般公開。雪隠(せっちん)にも床の…
山口県萩市にある黄檗宗の寺、東光寺。萩藩3代藩主・毛利吉就(もうりよしなり)が名僧・慧極道明(えごくどうみょう)を開山として創建した名刹で、隣接地には3代〜11代の奇数代の5藩主が埋葬された萩藩主毛利家墓所(東光寺墓所)…
山口県萩市にある黄檗宗(おうばくしゅう=本山は宇治・萬福寺)の寺、東光寺。萩にある旧天樹院、大照院と並ぶ萩藩主毛利家墓所のひとつ、東光寺墓所があります。萩藩3代藩主・毛利吉就(もうりよしなり)から奇数代の歴代藩主と夫人、…
山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。大照院とは萩藩(長州藩)の初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)の法号で、隣接地には萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)があり、初代藩主毛利秀就のほか、2代〜12代の偶数代…
山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。もとは天台宗の寺院で、14世紀に臨済宗へ改宗。かつては観音寺、歓喜寺とも呼ばれましたが、明暦2年(1656)年、萩藩(長州藩)2代藩主・毛利綱広が初代・毛利秀就(も…
山口県萩市堀内、堀内体育館近くにある毛利家墓所のひとつが、萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)。豊臣政権の五大老のひとり、毛利輝元とその妻・南の大方(清光院)、殉死した長井次郎左衛門が眠っています。毛利輝元の菩提寺、天樹院は…
京都府京都市下京区、浄土真宗本願寺派の本山、本願寺(西本願寺)。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進で、大坂から移転したのが、現寺地での始まり。境内の南側、北小路通に南面して建つ唐門は、書院の正門で、聚楽第、伏見城の…
神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府を開いた源頼朝の邸宅が大蔵御所。鎌倉幕府・大蔵御所跡とされるのは、かつての相模国鎌倉大蔵郷で、現在の鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目一帯。治承4年(1180年)〜承久元年(1219年)の39年間…
京都府京都市北区、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が三玄院(さんげんいん)。大徳寺本坊の西にあり、天正17年(1589年)、石田三成、浅野幸長(あさのよしなが)、森忠政(もりただまさ/森蘭丸の弟)による…