神引展望台
東京都新島村式根島、島の西岸、カンビキ浦の南に位置し、標高98.8mの神引山(かんびきやま)にある展望台が神引展望台。新東京百景に選ばれた展望は、伊豆七島屈指の絶景。式根島の特徴であるリアス式の海岸を眼前に、伊豆大島、神…
東京都新島村式根島、島の西岸、カンビキ浦の南に位置し、標高98.8mの神引山(かんびきやま)にある展望台が神引展望台。新東京百景に選ばれた展望は、伊豆七島屈指の絶景。式根島の特徴であるリアス式の海岸を眼前に、伊豆大島、神…
東京都台東区、アメヤ横丁(アメ横)にある日蓮宗の寺が摩利支天徳大寺(まりしてんとくだいじ)。開運摩利支天を祀ることから下谷摩利支天とも呼ばれ、日本三大摩利支天のひとつにも数えられる名刹です。関東大震災、戦災からも焼失を免…
東京都台東区、浅草寺本堂の西側に立つのが鳩ポッポの歌碑。童謡『鳩ぽっぽ』は、明治33年、作詞家・東くめが浅草寺の境内で鳩と戯れてる子供たちに着想を得た歌詞で、瀧廉太郎(たきれんたろう)が作曲。明治34年に『幼稚園唱歌…
京都府舞鶴市、海上自衛隊舞鶴地方総監部の施設で、旧海軍機関学校の大講堂を改装したミュージアムが海軍記念館。 明治34年10月1日、東郷平八郎中将を初代司令長官として鎮守府が置かれた舞鶴。館内には海軍舞鶴鎮守府の初代司令官…
京都府京都市西京区、松尾大社から南400m(徒歩5分)ほどのところにある古社。月読命(つくよみのみこと)を祀る松尾大社の境外摂社。平安時代以前に鎮座とされ、壱岐島(長崎県壱岐市芦辺町)の月讀神社から勧請された海上の神と伝…
京都府舞鶴市北吸(きたすい)、軍港としての歴史を有する舞鶴港にある海上自衛隊舞鶴地方隊の桟橋が、自衛隊桟橋(北吸桟橋)。国道27号沿いにある桟橋で、護衛艦「せんだい」、護衛艦「あさぎり」、イージス艦「あたご」などが停泊し…
京都府京都市東山区にある時宗遊行派の寺、長楽寺(ちょうらくじ)。延暦24年(805年)、桓武天皇(かんむてんのう)の勅命で、伝教大師が創建と伝えられ、「洛中随一絶景の霊地」として名高い名刹。天台宗・比叡山延暦寺の別院とし…
京都府京都市左京区大原にある天台宗の尼寺が寂光院(じゃっこういん)。聖徳太子が父・用明天皇の菩提のために開基と伝わる大原の古刹で、寺号は玉泉寺(本尊は地蔵菩薩)。平清盛の娘・建礼門院(平徳子=高倉天皇の皇后)が、平家滅亡…
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺(けんにんじ)の塔頭(たっちゅう)、禅居庵(ぜんきょあん)。本尊は聖観音菩薩ですがが、秘仏の摩利支天(まりしてん=仏教の守護神)を祀り、日本三大摩利支天の寺として有名で…
石川県加賀市、片山津温泉のはずれ、国立石川病院に隣接する池が首洗池。一帯は寿永2年(1183年)、倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の篠原古戦場。討ち死にした斎藤実盛…
石川県加賀市の篠原古戦場(旧篠原村)にある小さな塚が実盛塚。地元では木曽義仲軍に敗れた斎藤実盛(さいとうさねもり)の亡骸を葬った場所と伝えられ、実盛塚と呼ばれています。塚には高さ10m、幹回り3.3m。東西21m、南北約…
石川県加賀市大聖寺にある『日本百名山』の著者として有名な深田久弥(ふかだきゅうや)の記念館が深田久弥山の文化館。明治36年3月11日、石川県江沼郡大聖寺町(現・加賀市大聖寺)に生まれ、第一高等学校(現・東京大学教養学部)…
石川県加賀市大聖寺、江沼神社境内にある藩政時代の大聖寺藩主の休息所が長流亭。宝永6年(1709年)、大聖寺藩3代藩主・前田利直(まえだとしなお)は、屋敷(大聖寺陣屋)の庭園の隅に川端御亭(かわばたおちん)と呼ばれる別邸を…
石川県加賀市大聖寺にある大聖寺藩(だいしょうじはん=加賀藩の支藩)ゆかりの神社が江沼神社。宝永元年(1704年)、大聖寺藩3代藩主・前田利直(まえだとしなお=徳川綱吉の側近)の邸内に前田家の遠祖・菅原道真を祀る天満天神社…
石川県加賀市の山代温泉にある温泉守護の寺が、薬王院温泉寺。山代温泉は奈良時代、行基開湯という歴史を誇る古湯。行基が温泉守護のため、薬師如来などを彫り、堂宇を建てたのが温泉寺の創建で、平安時代の中期に明覚(みょうがく)が七…
石川県小松市古府町にある古社が石部神社(いそべじんじゃ)。律令時代に、国司が国内にある神社を巡拝する慣習を簡略化するため、国庁近くに建立した総社(国内の各社の祭神を合祀)、つまりは国庁の南に創建された加賀国の総社(当初の…
石川県加賀市大聖寺にある古社が菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)。古来、朝廷の崇拝を受け、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも加賀国(かがのくに)二之宮に列せられて記載される式内社。流行病(はやりやまい)に御利益があると…
石川県加賀市の片山津温泉にある真言宗の寺、愛染寺。温泉を掘削し、明治20年代中頃、塩津村・作見村にまたがる温泉街となった片山津の人々から請われて金沢から現寺地に移転し、以来、薬師如来を本尊に片山津温泉の温泉守護の寺として…