名胡桃城

名胡桃城

群馬県利根郡みなかみ町にある中世の山城が、名胡桃城(なぐるみじょう)。利根川上流の断崖を利用した要害の城で川を挟んで明徳寺城(みょうとくじじょう)があります。戦国時代に真田昌幸(さなだまさゆき)が沼田城の攻略拠点として築いています。続日本100名城にも選定。

真田昌幸が沼田城攻略の拠点として築いた山城

明応元年(1492年)、沼田城の支城として沼田氏の一族の名胡桃(なぐるみ)氏が居館として名胡桃館を築いたのが始まり。
天正6年3月13日(1578年4月19日)、上杉謙信が急死し、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱(おたてのらん)が始まると、それに乗じて真田昌幸が名胡桃館を攻略。
沼田城を攻略にする前線基地として名胡桃城を築いたのです。

利根川と赤谷川の合流点近く、東に利根川を臨む半島状の地形で、西を除く三方が断崖という天然の要害。
馬出郭・外郭から三郭、二郭、本郭・ささ郭と主要な郭が直線的に配列された連郭式の山城で、小田原攻め後に沼田領全体がが真田昌幸領となって廃城となった後、改変を受けていないため、往時のままに残されています。
本郭中央に立つ「名胡桃城趾之碑」は、大正13年、名胡桃城保存会の建立で、碑面の文字は徳富蘇峰(とくとみそほう)の揮毫(きごう)。

現在では南から西へと国道17号が抜け、西麓の駐車場横には歴史ガイドが常駐する「名胡桃城址案内所」が設置され、歴史ボランティアガイド(10:00~15:00、木曜定休、12月〜3月は不定休)も受け付けています。
駐車場のある部分が、名胡桃城の前身、名胡桃館の跡で、名胡桃城時代には城の北側を守備する般若郭(はんにゃくるわ)があった場所です。
国道に隣接する馬出郭・外郭から三郭、二郭、本郭と登城し、三郭と二郭の間の堀切に食い違い虎口、二郭と本郭の間の堀切に土橋が、本郭とささ郭の間にも土橋が架かっていました。
国道で分断されていますが、西には尾根沿いに水の手郭が構築されていました。

豊臣秀吉の小田原攻めを生んだ、名胡桃城事件とは!?

天正15年(1587年)、豊臣秀吉は大名間の私闘を禁ずる惣無事令(そうぶじれい)を関東に発令。
沼田領は、天正17年(1589年)に豊臣政権の裁定が行なわれ、名胡桃城を含めた全体の3分の1は真田領に、それ以外の沼田城を中心とする3分の2は北条領と定められ、沼田城は北条氏に引き渡されています。

沼田城代となった北条氏家臣・猪俣邦憲(いのまたくにのり)が計略をめぐらせて名胡桃城を占領。
真田昌幸はこれを豊臣秀吉に訴えますが、北条氏直は、名胡桃城は真田昌幸からもらったものと主張し、秀吉の猪俣邦憲成敗という沙汰を無視します。
こうして、秀吉による小田原征伐が始まり、名胡桃城事件は北条氏の滅亡へとつながったのです。

その結果、沼田領は真田氏が安堵し、名胡桃城の存在理由がなくなったため、わずか10年ほどで廃城になっています。

名胡桃城
名称 名胡桃城/なぐるみじょう
所在地 群馬県利根郡みなかみ町下津3462-2
関連HP みなかみ町観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR上毛高原駅、または、上越線後閑駅からタクシーで7分
ドライブで 関越自動車道月夜野ICから約3.5km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 名胡桃城 TEL:0278-62-0793
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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