島原武家屋敷・山本邸
長崎県島原市下の丁、島原城の西に位置する島原武家屋敷のひとつが山本邸。山本家(初代・山本佐五左衛門)は三河吉田藩・松平忠利(まつだいらただとし)時代からの深溝松平家の家臣。17石2人扶持で、下級武士ながらの門構えは最後の…
長崎県島原市下の丁、島原城の西に位置する島原武家屋敷のひとつが山本邸。山本家(初代・山本佐五左衛門)は三河吉田藩・松平忠利(まつだいらただとし)時代からの深溝松平家の家臣。17石2人扶持で、下級武士ながらの門構えは最後の…
長崎県雲仙市、雲仙温泉街、雲仙地獄・八幡地獄に隣接して建つのが温泉神社(うんぜんじんじゃ)。大宝元年(701年)、僧・行基が開いた温泉山満明寺(うんぜんざんまんみょうじ)の鎮守・四面宮に始まり、明治2年の神仏分離で、満明…
長崎県雲仙市、雲仙温泉のシンボル的存在の雲仙地獄にある潜伏キリシタンの悲しい歴史を伝える碑がキリシタン殉教記念碑。雲仙のある島原半島は、 寛永14年(1637年)〜寛永15年(1638年)の島原・天草一揆(島原…
長崎県雲仙市にある、雲仙地獄。雲仙は昭和9年の雲仙国立公園制定まで、温泉と表記して「うんぜん」と読ませていましたが、江戸時代には温泉山満明寺(うんぜんざんまんみょうじ)が管理する女人禁制の霊山で、その伝統を今に伝えるのが…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。活発な活動を続ける雲仙地獄東部にある地獄がすずめ地獄です。老舗ホテル、雲仙九州ホテルの東側にある地獄で、地下から噴き出したガスが水中ではじけて、ピチピチと小さな音をたて…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。雲仙地獄の中で活発な火山活動を続けるのは東側で、噴気を上げる場所は東へと移動しています。キルスト教が禁教だった江戸時代、長崎に住むキリシタン・清七が処刑された頃に噴出が…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。仏教由来の名前が付けられた地獄が30ほどあるなかで、お糸地獄は密通をした挙げ句、夫を殺害したというお糸が処刑された明治3年に生まれた地獄と伝えられています。いまでは傍ら…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。雲仙地獄は東側のほうが活動が活発で、西側部分は火山活動が終息していますが、雲仙宮崎旅館のすぐ東側にあるのが泥火山(でいかざん)。地下から湧出する温泉水と泥が混じり、小型…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。今も噴気を上げる地獄地帯の雲仙地獄で、もっとも盛んな火山活動の場所が大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)。大叫喚地獄展望所が設けられ、間近で噴気現象を観察することが可能で…
長崎県雲仙市、雲仙温泉を代表する観光名所が雲仙地獄。戦後間もない昭和27年、菊田一夫原作の連続ラジオドラマ『君の名は』が大ヒットを収め、映画化されますが、その映画化ロケ(岸惠子・佐田啓二主演・昭和29年公開の『君の名は』…
長崎県雲仙市小浜町、雲仙普賢岳の仁田峠循環道路(正式名は仁田峠循環自動車道路)は、雲仙天草国立公園内を走る昭和31年に全線開通したかつての県営有料道路(平成21年無料開放)。第一展望所が仁田峠ですが、仁田峠第二展望所から…
長崎県雲仙市、妙見岳へと上る雲仙ロープウェイの仁田峠駅があるのが雲仙仁田峠。標高1079.0mで妙見岳と野岳の鞍部にあたり、仁田峠循環道路沿いにあり、豊かな自然に囲まれ、5月にはミヤマキリシマが一面に咲き誇ります。仁田峠…
長崎県雲仙市、仁田峠から雲仙ロープウェイで上った妙見岳駅(山頂展望所)から東へ徒歩数分の場所にあるのが妙見岳展望所。切り立ったカルデラ壁の断崖の上に位置し、普賢岳、溶岩ドームの平成新山、そして有明海を眺望する絶景のスポッ…
長崎県島原市、普賢岳(ふげんだけ)の北東2.5kmに位置する台地にある雲仙国立公園の園地が垂木台地園地で、平成新山ネイチャーセンターが建っています。普賢岳平成噴火に伴う火砕流や土石流によって一面焼け野原となった場所で、園…
長崎県島原市、垂木台地園地にある雲仙国立公園のガイダンス施設が平成新山ネイチャーセンター。館内では雲仙火山の歴史、平成新山の誕生、平成新山を観測するシステム、火山と共生する動植物などを紹介。周辺の園地は園路が設けられ、火…
長崎県島原市を走る島原まゆやまロード・長崎県道207号(千本木島原港線)沿いにある展望地が平成新山展望園地。平成2年11月に198年ぶりに雲仙普賢岳が噴火し、その噴火により形成された溶岩ドームが、平成新山。翌年5月に始め…
熊本県阿蘇市一の宮町の阿蘇神社から仙酔峡道路を走った終点が高岳・根子岳登山口の仙酔峡(せんすいきょう)。阿蘇カルデラの中央火口丘群、中岳と高岳の北麓にあり、中岳火口から上がる噴煙、阿蘇外輪山、九重連山まで望むロケーション…
熊本県人吉市土手町にある人吉藩(相良家)家老を勤めた新宮家の屋敷跡が武家蔵。西南戦争の際に西郷隆盛の宿営地となったため、往時(新宮嘉善の屋敷)の建物は官軍の砲弾で焼失、入口の堀合門(ほりあいもん)は人吉城から移築したもの…