鹿島灘海浜公園
茨城県の海岸線のほぼ中央、茨城県鉾田市の大竹海水浴場にある南駐車場から南部に延びる1kmほどの間に整備されたのが県立の鹿島灘海浜公園。20.6haの敷地に砂丘地帯の松林の中を縫う散歩道や、ちびっこランド、芝生の広場などが…
茨城県の海岸線のほぼ中央、茨城県鉾田市の大竹海水浴場にある南駐車場から南部に延びる1kmほどの間に整備されたのが県立の鹿島灘海浜公園。20.6haの敷地に砂丘地帯の松林の中を縫う散歩道や、ちびっこランド、芝生の広場などが…
茨城県神栖市(かみすし)の波崎砂丘にある2基の風車がコスモパワーの波崎風力発電所、シーサイド道路沿いの風車の基部に波崎シーサイドパークが整備されています。旧波崎町の自然資源である鹿島灘の浜風を活用して風力発電を行なう施設…
茨城県神栖市の、太平洋岸に続く波崎砂丘に平成16年に誕生した波崎ウインドファームは、先に稼働している波崎風力発電所の北に位置する集合型風力発電所。波崎ウインドファームが運営し、1250kWの風車が鹿島灘の海岸に沿って12…
茨城県神栖市(かみすし)、鹿島港・鹿島臨海工業地帯に臨む港公園に建つ高さ52mの展望タワー。展望台には室内展望室と最上部の屋外デッキが用意され、日本最大の掘り込み式港湾・鹿島港に築かれた鹿島臨海工業地帯を一望にします。エ…
茨城県神栖市(かみすし)、鹿島灘唯一の巨大な港で、世界有数の掘込み式人工港湾でもある鹿島港に隣接する7.5haの公園。園内には芝生の広場が整備されソテツやカナリーヤシなど約8000本の樹木が植栽されています。また。高さ5…
長崎県東彼杵郡波佐見町鬼木郷にある棚田が鬼木の棚田(おにぎのたなだ)。虚空蔵火山の裾で馬蹄形に開けた地形に、石垣で畔を築いて棚田を開いたもので、日本の棚田百選にも認定される美しい棚田です。近年の圃場整備で、耕作に便利なよ…
長崎県松浦市福島町を走る長崎県道103号喜内瀬鍋串辻線沿いにある棚田が土谷棚田(どやたなだ)。玄界灘に沈む夕日を眺める棚田で「日本の棚田百選」にも選定されています。現在、400枚ほどが耕作され、ゴールデンウィーク頃に田植…
長崎県東彼杵郡川棚町の片島にある戦争遺跡が片島魚雷発射試験場跡。第二次世界大戦の最中、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行なわれた試験場の跡で、魚雷発射の状況を記録・確認するための観測所跡など…
第31代飫肥藩主・伊東祐相(いとうすけとも)の命で、江戸時代後期の天保2年(1831年)に開設した飫肥藩の藩校が振徳堂(しんとくどう)。石垣に囲まれた広い敷地内に、長屋門と主屋が保存されています。明治時代、外交官として活…
宮崎県日南市、藩政時代に飫肥藩(おびはん)の藩庁となった飫肥城は、周囲が24町(約2.6km)あり、本丸、藩主の生活の場だった松尾の丸、中の丸、今城、西の丸、北の丸、松の丸、小城、中の城、宮薮、八幡城からなる、典型的な平…
宮崎県日南市、飫肥城の大手門の前にある歴史的な建造物が豫章館(よしょうかん)。藩主・伊東家の家臣・伊東主水(いとうもんど)の屋敷で、飫肥の武家屋敷のうちでももっとも格式の高い家が現存(明治元年築)。飫肥藩の典型的な武家屋…
宮崎県日南市の飫肥城(おびじょう)の城下町に現存するのが小村寿太郎生家。明治時代に外交官として活躍した小村寿太郎(小村壽太郎)は、安政2年9月16日(1855年10月26日)、飫肥藩の下級藩士・小村寛平と梅子の長男として…
宮崎県日南市北郷町、広渡川上流の猪八重谷川(いのはえがわ)の渓谷。猪八重渓谷内には五重の滝を中心に流合の滝(はきあいのたき)、岩つぼの滝、はまぐり岩、瓶の滝(かめのたき)などの景勝が連続。日南市北郷町は「森林セラピー」の…
宮崎県日南市北郷町は「森林セラピー」の町。猪八重渓谷ウォーキングロードとともに森林セラピーに最適の道が整備されるのが蜂之巣渓谷。それが広渡川沿い(河岸の堤防)を歩く蜂之巣渓谷ウォーキングロード。全長1.6km(片道)のコ…
宮崎県日南市北郷町、広渡川が岩峰・鬼の頭(おにのつぐみ)にぶつかり、U字型に大きく蛇行する鳩之巣渓谷部分に、ナイター完備のテニスコート、多目的広場、じゃぶじゃぶ池、森林浴歩道などが整備される総合スポーツランド。温泉付の蜂…
宮崎県都城市、「日本の滝100選」にも選ばれた名瀑、関之尾滝。その滝口(上流)側の河原にあるのが甌穴群(おうけつぐん)です。甌穴とは河川の岩の表面や川床に水流による石や砂の回転で生じる円形の穴、ポットホール(pot ho…
埼玉県川越市の中心部、蔵造りの街並みに建つのが時の鐘。江戸時代初頭から城下の町に時を告げてきた川越のシンボル的な存在の鐘撞堂です。川越藩主・酒井忠勝(さかいただかつ)が初代の堂を創建し、現存する時鐘楼は、明治26年に起き…
埼玉県川越市にある駄菓子屋が並ぶ横丁が川越菓子屋横丁。明治初期、気取らない菓子を製造したことが始まりといわれる菓子屋横丁。関東大震災で菓子屋が壊滅状態となった昭和初期には、東京に代わって製造を担い、60軒あまりの店が軒を…