三国港突堤
福井県坂井市にある三国港は、宮城県の野蒜築港(のびるちくこう)、熊本県の三角西港(みすみにしこう)と並んで、明治三大築港のひとつ。九頭龍川河口右岸から港西片に突き出している三国港突堤は、明治11年、政府が派遣したオランダ…
福井県坂井市にある三国港は、宮城県の野蒜築港(のびるちくこう)、熊本県の三角西港(みすみにしこう)と並んで、明治三大築港のひとつ。九頭龍川河口右岸から港西片に突き出している三国港突堤は、明治11年、政府が派遣したオランダ…
福井県坂井市にある丸岡城内にある石碑が一筆啓上書翰碑(いっぴつけいじょうしょかんひ)。本多作左衛門重次(本多重次)が、長篠の戦いの戦場から妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、日本一簡潔な手紙として…
福井県小浜市にある曹洞宗の寺、空印寺(くういんじ)。大永2年(1522年)、若狭国の守護、武田元光(たけだもとみつ)が後瀬山城(のちせやまじょう)築城の際、堅固な城館を建てた地がここ。京極忠高が建立した泰雲寺が前身ですが…
長野県白馬村、かつて善光寺・戸隠詣での往来で栄えた善光寺街道柄山峠越えの道は千国街道を分かれ、青鬼(あおに)、野平の集落を経て、柄山峠への登路となりました。野平から柄山峠への道は十三曲りと呼ばれるつづら折りで高度さを克服…
長野県白馬村で棚田というと「日本の棚田百選」に選定の青鬼(あおに)地区が有名ですが、同じ東山側の丘陵にあって、まだまだ穴場的な存在が野平地区。青鬼地区の南に位置し、区画改良が進んだ棚田から鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬…
長野県白馬村の東山(小高い丘陵が連なる東側のエリア)にある集落で、かつて善光寺・戸隠詣での往来で栄えた善光寺街道柄山峠越え(からやまとうげごえ)途中に位置したのが青鬼(あおに)。棚田の広がる59.7haの地区が国の重伝建…
重要伝統建造物群保存地区に指定される白馬村青鬼(あおに)地区ですが、白馬連峰を眺望する絶景の青鬼の棚田は、「日本の棚田百選」にも選定。長野県内には1万2000haもの棚田がありますが、もっとも絶景なのが青鬼の棚田。現在は…
福井県小浜市にある近世に築かれた海城が小浜城。雲浜城(うんぴんじょう)とも呼ばれる若狭国の城。若狭小浜藩初代藩主・京極高次(きょうごくたかつぐ)の築城で、藩政時代の藩庁となった城です。後に譜代大名で老中・大老を務めた酒井…
諏訪湖の唯一の水の出口、長野県岡谷市の釜口水門を源流に、伊那谷を南下し、愛知・静岡県境を流れて静岡県浜松市と磐田市の境で遠州灘(太平洋)に注ぐ長大な河川が天竜川(てんりゅうがわ)。幹川流路延長は213kmで、日本第9位、…
山形県米沢市、吾妻連峰の西吾妻山北面、松川上流の間々川に懸かる滝が火焔滝(ひのほえのたき)。河川法による最上川源流になっているのが火焔滝ですが、さらに上流部にも水が流れているため、実際の源流はさらに上部ということに。近く…
山形県米沢市にそびえる西吾妻山(2035m)北面、火焔滝(ひのほえのだき)を源流に、山形県を北上し、酒田市で日本海に注ぐ長大な河川が最上川(もがみがわ)。幹川流路延長は229kmで、木曽川と並んで日本第7位、流域面積70…
長野県北安曇郡小谷村、「塩の道」千国街道の親坂(千国宿〜牛方宿)の途中にある水飲み場が弘法の清水(こうぼうのしみず)。水飲み場には2個の石舟が2段になって置かれ、低い方は牛馬用のもの。石舟の上に安山岩の弘法大師像が安置さ…
長野県小谷村(おたりむら)、「塩の道」千国街道の難所のひとつ、千国宿から沓掛の牛方宿(うしかたやど)へと上る親坂の登り口にある石仏群が親坂石仏群。平成7年の豪雨で一部が流出してしまいましたが、往時の雰囲気を今も留める石仏…
長野県北安曇郡小谷村、栂池高原スキー場下から牛方宿のある沓掛(くつかけ)へと向かう「塩の道」千国街道。そこにあるのが前山百体観音で、板東三十三番、西国三十三番、秩父三十四番の合計が百体なので、百体観音という名があります。…
長野県北安曇郡白馬村、岩岳スキー場下の切久保旅館街を通る旧街道が「塩の道」と呼ばれる千国街道(ちくにかいどう)。切久保旅館街の南側、新田民宿街への途中に位置するのが観音原で、江戸時代後期、文化年間(1804年〜1818年…
木曽川本流が木曽谷から流れ出る中流部、現在の岐阜県恵那市、中津川市(旧蛭川村)に大正11年に着工、大正13年に完成した大井ダム。後に電力王として知られる福沢桃介率いる大同電力が築いたダムで、日本最初のダム式発電所、そして…
大正9年に地理学者で『日本風景論』の著者として知られる志賀重昴(しがしげたか)によって命名された恵那峡。その後大井ダムの完成で、ダム上流の湖を遊覧船で探勝できるようになり、恵那峡の渓谷美が堪能できるようになったのです。東…
岐阜県中津川市と恵那市を流れる木曽川の峡谷が恵那峡。大正9年に地理学者で『日本風景論』の著者として知られる志賀重昴(しがしげたか)によって命名された恵那峡。大井ダムの上流12kmにわたる木曽側が生み出した峡谷で、両岸には…