野中の清水
和歌山県田辺市中辺路町野中、野中坂巻山の中腹に湧く清水が野中の清水。熊野古道・中辺路(なかへち)沿い、「野中の一方杉」のある継桜王子社の真下に位置し、古来から熊野詣に訪れる人々の喉を潤し、『古今和歌集』にも歌が記載されて…
和歌山県田辺市中辺路町野中、野中坂巻山の中腹に湧く清水が野中の清水。熊野古道・中辺路(なかへち)沿い、「野中の一方杉」のある継桜王子社の真下に位置し、古来から熊野詣に訪れる人々の喉を潤し、『古今和歌集』にも歌が記載されて…
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産となる熊野古道・中辺路(なかへち)。古道には俗に「熊野九十九王子」(くまのくじゅうくおうじ)と呼ばれる社が点在しますが、田辺市中辺路町近露にある近露王子(ちかつゆおうじ)は…
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の熊野古道・中辺路(なかへち)。箸折峠(はしおりとうげ)の宝篋印塔(県指定文化財「近露の宝塔」)近くにある石像が、中辺路のシンボル的存在となっている牛馬童子像。牛馬2頭の背…
和歌山県田辺市、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になった熊野古道・中辺路(なかへち)途中にあるのが大門王子(だいもんおうじ)。熊野九十九王子社(くまのくじゅうくおうじしゃ)のひとつ。高原集落から十丈峠へ向…
和歌山県田辺市、熊野本宮へとつながる熊野古道・中辺路(なかへち)の高原(たかはら=不寝王子と大門王子の間)にある古社が高原熊野神社。応永年間(1394年~ 1428年)に若王子(にゃくおうじ)を熊野本宮から勧請して創建。…
熊野古道、熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)のうち、田辺側からの中辺路(なかへち)の入口にある社が滝尻王子(たきじりおうじ)。五体王子(滝尻王子・発心門王子・藤代王子・切目王子・稲葉根王子)のひとつ。富田川(岩田川…
空海が開いた山上の霊地、高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)。江戸時代の初め、高野山には興山寺東照宮、大徳院東照宮という2つの東照宮があり、興山寺東照宮は廃絶(金剛峯寺に集約)しましたが、大徳院東照宮(寺は廃絶)が徳川家霊台…
和歌山県伊都郡高野町高野山、高野山真言宗総本山の寺、金剛峯寺(こんごうぶじ)。「弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会」を記念して昭和56年に造園された、国内最大級の石庭が蟠龍庭(ばんりゅうてい)。蟠龍とは、天に昇らず高…
和歌山県田辺市中辺路町内井川、中辺路(なかへち)を流れる内井川に懸かる美しい滝が夫婦滝(めおとだき)で、「観音滝」として地元の人の尊崇を集めています。寛永年間(1624年~1645年)、和泉国の猟師の矢敷孫左衛門と滝の主…
寛文6年(1666年)、熊野路巡視の途中、長保寺(現・和歌山県海南市)に立ち寄った紀州藩主徳川頼宣(とくがわよりのぶ=紀州徳川家の祖、徳川家康の十男)は、周囲が山に囲まれ要害堅固であることから、非常時の陣営となることを加…
和歌山県海南市下津町にある天台宗の古刹、長保寺(ちょうほうじ)。長保2年(1000年)、一条天皇の勅願で、慈覚大師・円仁の弟子である性空(しょうくう)が創建。平安時代、長保寺周辺は藤原摂関領だった地で、多くの皇族が熊野参…
神功皇后の新羅遠征(三韓征伐)に従軍し、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の天皇に仕えた(200年以上生きたことになります)という伝説上の官吏が武内宿禰(たけのうちのすくね)。和歌山には伝説が数多く残され、武内宿禰が産湯を使っ…
滋賀県長浜市の東部に位置する石田町は、戦国時代末期、豊臣秀吉の五奉行として活躍したといわれる知将・石田三成(いしだみつなり)の出生地。現在は公民館となった石田家の屋敷跡には「石田治部少輔(いしだじぶしょうゆう)出生地」と…
和歌山県海南市にある天台宗の寺が善福院(ぜんぷくいん)。鎌倉時代初期の建保3年(1215年)、臨済宗を開いた栄西が廣福寺五ヶ院のひとつ、宝遊山廣福禅寺として創建。安土桃山時代には加茂氏の菩提寺として栄えましたが、明治の廃…
神奈川県鎌倉市、臨済宗円覚寺派の大本山の円覚寺(えんかくじ)。鎌倉五山第二位という名刹ですが、塔頭(たっちゅう=子院)の正続院にある舎利殿は、国宝。鎌倉はもちろん、神奈川県では唯一の国宝建築物です。正続院は、円覚寺を開山…
玄海灘に突き出した半島の町、佐賀県唐津市肥前町にある農林水産省の「日本の棚田百選」選定の棚田が大浦の棚田。大浦岡、大浦浜、満越の3集落にわたり、30ha、1000枚ほどの棚田です。中世(鎌倉時代)から近世(江戸時代)にか…
長崎県南島原市南有馬町谷水地区にある「日本の棚田百選」にも選ばれている美しい棚田が谷水の棚田(たにみずのたなだ)。平地が少なく狭い耕地を有効に利用するために、斜面に石垣を築き、溜池の水を使って水田耕作が行なわれています。…
長崎県長崎市にある江戸時代初期に華僑(かきょう)が創建した唐寺のひとつで、興福寺、福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられるのが崇福寺(そうふくじ)。第一峰門(だいいっぽうもん)は、元禄8年(1695年)再建の中門で、建材…