楊貴妃の里
唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げたとされる才色兼備の楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。実は、楊貴妃は日本へと脱出、長門国に流れ着いたのだという伝承が長門市の二尊院に残されています。「楊貴妃の墓」とされる五…
唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げたとされる才色兼備の楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。実は、楊貴妃は日本へと脱出、長門国に流れ着いたのだという伝承が長門市の二尊院に残されています。「楊貴妃の墓」とされる五…
古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)に数えられる楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。楊貴妃は唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げていますが、実は日本に逃げ、長門国(ながとのくに)の向津具半島(むかつく…
鎖国政策の江戸時代、公式な外交を有した国が朝鮮国。1607(慶長12)年〜1811(文化8)年の間、合計12回の使節団(朝鮮通信使)が来日しています。李氏朝鮮の国王が派遣した使節、通信使が日本本土入りした最初の上陸地が、…
下関市豊北町、神田岬の砂丘地帯にある弥生時代の墓地遺跡が、土井ヶ浜遺跡。今から二千数百年前の弥生人の集団墓地であったと考えられ、約300体の人骨が出土、石棺や副葬品なども多く、日本人の起源や現代人の成り立ちを探る貴重な遺…
本州の最西端は下関市の毘沙ノ鼻(びしゃのはな)。日本海(響灘)に突き出した岬で沖合には蓋井島(ふたおいじま)があります。毘沙ノ鼻の南側には戸屋ノ鼻もありますが、惜しくも僅差で本州最西端の座を譲っています。大河原(おおこら…
沖縄本島(本部半島)と瀬底島を結ぶ沖縄県道172号(瀬底健堅線)の海上橋が瀬底大橋。昭和60年2月に完成した全長762mの橋で、完成時には沖縄県下で最長の橋でしたが、その後古宇利大橋、伊良部大橋などに抜かれています。
与那国島では日本で最後に沈む夕日が見られる西崎(いりざき)が有名ですが、東端に位置する東崎(あがりざき)からは、晴れた日には遠く西表島をも眺望。突端の断崖上には東埼灯台が建ち、展望台が設けられています。また岬高台の広大な…
宮古島最東端にあり、太平洋と東シナ海に突き出すように延びる岬が、東平安名岬(ひがしへんなざき)。『正保国絵図』(1644年)、『宮古八重山両島絵図帳』(1647年)では、東平安名岬は「百名崎」、西平安名崎を「ひゃんな崎」…
宮古島の西端(北端でもある)の岬が西平安名岬(にしへんなざき)。『正保国絵図』(1644年)、『宮古八重山両島絵図帳』(1647年)では、西平安名岬は「ひゃんな崎」、東平安名岬を「百名崎」と記しています。西平安名岬の東に…
昭和42年3月27日、当時の琉球政府(沖縄県が日本に返還される前)によって、宮古島の東端、東平安名岬(ひがしへんなざき)の先端に設置された白亜の灯台が平安名埼灯台。東平安名岬周辺は暗礁が散在するため、地元漁民や大型貨物船…
全国でも唯一の島嶼県(とうしょけん)である沖縄県。沖縄県によれば沖縄本島をはじめ49もの有人島があるそうで、安定的なライフラインの確保、産業振興などの目的で、離島架橋の整備が進められてきました。しかも海上橋の多くは、絶景…
八重山諸島の西端、日本の最西端に位置する与那国島(よなぐにじま)。台湾との距離は111kmで、石垣島からよりも近く、方言を含め独特の文化が発達した地。島の西端に位置する西崎(いりざき)には、日本最西端の碑が立つほか、岬の…
西表島(いりおもてじま)の南25kmに浮かぶ、日本最南端の有人島が波照間島(はてるまじま)。琉球石灰岩からなることから、「最果てのサンゴ(うるま)の島」という意味をもっています。そんな波照間島の南端、高那崎に立つのが、日…
平成15年、平成18年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『Dr.コトー診療所』。吉岡秀隆演じる医師・五島健助が勤務したのが沖縄県八重山群島の志木那島(しきなじま)。島は架空の島ですが、ロケ地として使われた志木那島診…
東シナ海と太平洋の境界、八重山群島・与那国島(よなぐにじま)の西端、西崎(いりざき)に建つのが西埼灯台(いりさきとうだい)。日本最西端の灯台で、しかも日本最西端の建造物になっています。晴れた日には灯台横から遠く台湾を眺望…
昭和57年に完成した宮城島と伊計島(いけいじま)を結ぶ全長198mの橋が伊計大橋。勝連半島と平安座島(へんざじま)は海中道路で結ばれ、平安座島と宮城島が桃原橋で繋がっているので、勝連半島と伊計島はドライブで到達可能です。
沖縄県うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)と平安座島(へんざじま)とを結ぶ沖縄県道238号(浜比嘉平安座線)途中にある全長1.43kmの海上橋。県道238号は全長が2.27kmだから、大部分が海上橋ということになります。「…
宮古島とその沖にある来間島(くりまじま)とを結ぶ全長1690mの海上橋が来間大橋(くりまおおはし)で、平成7年に農道として開通。農道橋としては日本最長でしたが、現在では宮古島市道来間大橋線の一部になっています。伊良部大橋…