狩宿の下馬桜
富士宮市にある日本一ともいわれるヤマザクラ(山桜)の古木で国の特別天然記念物(学名アカメノシロバナヤマザクラ)。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が1193(建久4)年、「富士の巻狩り」を行なった際、馬から下りたところというのが名…
富士宮市にある日本一ともいわれるヤマザクラ(山桜)の古木で国の特別天然記念物(学名アカメノシロバナヤマザクラ)。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が1193(建久4)年、「富士の巻狩り」を行なった際、馬から下りたところというのが名…
平成2年に公益財団法人日本さくらの会の創立25周年記念として、当時の建設省、運輸省、環境庁、林野庁、全国知事会、財団法人国際花と緑の博覧会協会の後援で選定された「日本さくら名所100選」。9つの基準をクリアして選ばれた「…
伊豆高原にミニ富士山のようにそびえる大室山の山麓に40種1500本の桜が植栽される花の里。9月中旬、十月桜が咲き始め、冬から春にかけての寒桜、大寒桜、伊東桜、ソメイヨシノ、枝垂桜、八重紅大島桜、大島桜、八重桜の関山・松月…
静岡県駿東郡小山町にある公園墓地。富士山を借景にメインストリート脇などに桜が植栽され、「日本さくら名所100選」に選定されています。本田技研工業の創業者・本田宗一郎、国民栄誉賞受賞の歌手・藤山一郎、女優の杉村春子、第56…
1570(元亀元)年、武田信玄の西侵に備えるため、徳川家康は本拠地を三河国岡崎城(現・愛知県岡崎市)から遠江国浜松荘へ移します。さらに当時の地名、曳馬という名が「馬を引く」(敗北)に通じることから浜松荘(荘園の名)に因ん…
永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山…
音無神社は、伊東市街の中央を流れる音無川(松川)の東岸に鎮座する古社。音無の森と呼ばれる鎮守の森に囲まれた厳かな神社ですが、毎年11月10日に「天下の奇祭」といわれる『尻つみ祭り』が斎行されます。またこの音無の森は『曽我…
平安時代(927年)編纂の『延喜式神名帳』に「遠江国六十二座、敷智郡六座の一座」との記載がある浜名湖屈指の古社。祭神は蚶貝比賣命(きさがいひめのみこと)、蛤貝比賣命(うむぎひめのみこと)と全国的にも珍しい浜名湖らしい貝の…
掛川城大手門は、二層式の櫓門(やぐらもん)。平成5年の発掘調査で12ヶ所の礎石根固め石が確認され平成7年に往時の位置から50m北にずらして復元されています。棟上には鯱瓦が飾られた勇壮な建物で、観光の拠点となる市営の掛川大…
城下に時を知らせるための大太鼓が置かれた櫓で、往時には掛川城の三の丸にありました。二の丸にあった荒和布櫓(あらめやぐら)にかわって、昭和30年に太鼓櫓が移築されています。時を告げた太鼓は、掛川城御殿玄関に置かれています。
掛川城の正門にあたる大手門横で、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所だったのが大手門番所。現存する番所は、江戸時代末期に建てられたもの。この番所が東海道掛川宿から掛川城に入るルートの最初のチェックポイントとなっていま…
掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所で…
東海道の要衝を守る名城、掛川城。現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守ですが、往時の様子を忠実に再現しています。近世城郭を築いたのは、平成18年のNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊。天下…
伊豆半島の南端、太平洋に突き出した岬が石廊崎(いろうざき)です。「日本の灯台50選」にも選定される石廊埼灯台からさらに先端へと向かうと、その断崖にはなんと石室神社(いろうじんじゃ、いしむろじんじゃ)が鎮座しています。
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
「伊豆の松島」という別名もある堂ヶ島。美しい景観は実は海底火山がつくったものだとか。今回は有名な天窓洞横の亀島&蛇島(じゃじま)をクローズアップ。
もともとは南海の海底火山がマントル対流にのって北上、本州にぶつかって誕生したのが伊豆半島。伊豆半島ジオパークはユネスコの「世界ジオパーク」に認定されていますが、必踏の地が堂ヶ島の天窓洞です。
富士山頂にピッタリと日が沈む、あるいは逆に日が昇ることを「ダイヤモンド富士」といいます。 その絶景の場所が、静岡県富士宮市の田貫湖(たぬきこ)です。