唐戸市場
山口県西部地域や北九州地域の台所として昭和8年開設の歴史ある山口県下関市の唐戸市場。門司港、巌流島への連絡船が出航する唐戸桟橋近くにあり、今ではウォーターフロントの注目株となっています。ふく(ふぐ)はもちろん、タイ、ハマ…
山口県西部地域や北九州地域の台所として昭和8年開設の歴史ある山口県下関市の唐戸市場。門司港、巌流島への連絡船が出航する唐戸桟橋近くにあり、今ではウォーターフロントの注目株となっています。ふく(ふぐ)はもちろん、タイ、ハマ…
駐日英国大使アーネスト・サトウの本国への具申から明治39年に下関に建てられたイギリス領事館。ついで長崎、函館にも建てられましたが、現在も残っているのは長崎と下関だけ。旧下関英国領事館として保全され、国の重要文化財になって…
下関・唐戸と北九州・門司港を結ぶため唐戸渡船(からととせん)の呼び名で親しまれる関門連絡船を運航するのが関門汽船。下関市の唐戸桟橋と北九州市の門司港桟橋(マリンゲートもじ)とを5分で結んでいます。また、武蔵と小次郎の決闘…
海峡メッセ下関に併設される海峡ゆめタワーは、高さ153m。30階の展望室は143mに位置し、世界初の球形ガラス張りとなっていて、360度のパノラマビューが楽しめます。幅700m余りの関門海峡はもちろん、九州の山並みをも一…
長門長府藩第13代藩主・毛利元周(もうりもとちか)は幕末の異国船対策にも奔走、亀山八幡宮に砲台を築き、大砲4門を備えました。これが亀山砲台で、文久3年5月11日(1863年6月26日)、亀山砲台からアメリカ商船などに砲撃…
山口県下関市で「関の氏神さま」と尊崇される古社、亀山八幡宮。貞観元年(859年)創建と伝えられ、行基が宇佐八幡宮から京の石清水八幡宮に分霊を勧請する際に、この地に立ち寄り仮の社を造ったのが始まりとされています。当時は島だ…
山口県萩市にある、日本で一番標高の低い活火山、笠山(112.2m)の東麓に位置する神秘的な池、明神池。もとは島だった笠山が、土砂や溶岩流などの影響で本土と陸続きになったときに埋め残されてできた池(海跡湖)です。今も玄武岩…
山口県萩市、日本で一番標高の低い活火山といわれる笠山(標高112.2m)の北西端に位置する虎ヶ崎周辺に広がる椿の群生林(自然林)が笠山椿群生林。10haの広さに約2万5000本のヤブツバキが自生し、例年2月第3土曜から3…
山口県萩市、萩市街の北に位置する笠山は気象庁が活火山と認定する阿武火山群(あぶかざんぐん)に属する火山。越ヶ浜から突き出した標高112.2mの小さな火山で、山頂には直径30m、深さ30mの噴火口があります。山頂近くには展…
秋吉台国定公園内にあり、サファリゾーン、動物ふれあい広場、遊園地からなる自然動物公園。サファリゾーンでは、ライオンエリア、チーターエリア、トラエリア、クマエリア、草食動物エリア(ゾウ、シマウマ)に分かれ、放し飼いのなかを…
およそ1万3000haの面積を誇る、日本最大の石灰岩台地(カルスト台地)が、山口県美祢市の秋吉台。標高200mから400mほどの起伏に富んだ草原状の台地には、白く露出するカレンフェルト(石灰岩柱)がヒツジの群れのように点…
昭和32年、米軍による秋吉台空爆演習地問題が契機に、秋吉台の保護、学術的な研究を目的にカルスト展望台近くに築かれたのが秋吉台科学博物館。山口県美祢市立のミュージアムで、洞窟などで採取した化石を展示し、洞窟に生息する生物を…
大正洞入口近くの芝生広場に建つ秋吉台国定公園の自然を解説するビジターセンター。館内は台麓フィールド、洞内フィールド、台上フィールドという3つのフィールド展示に分けられており、日本最大のカルスト地形である秋吉台、その地下に…
山口県美祢市秋芳町別府にある別府厳島神社の境内に位置するコバルトブルーの湧水池が別府弁天池。透明度抜群の池の底から湧き出る水は、カルスト台地の伏流水で、摂氏14.5度で毎秒11tも湧出。古くから「1杯飲めば1年、2杯飲め…
山口県美祢市の日本最大級のカルスト地帯には、秋芳洞、大正洞、景清洞(かげきよどう)という大きな鍾乳洞がありますが、大正洞よりさらに北に位置するのが景清洞。壇之浦の戦いに敗れた平景清(大庭景清)が、この洞穴に潜んでいたとい…
山口県美祢市、およそ130平方キロメートルの面積を誇る、日本最大のカルスト台地が秋吉台。秋吉台案内所(エレベーター入口)から徒歩5分ほどにある、秋吉台カルスト展望台周辺は、変化に富んだ石灰岩の高原・秋吉台一帯が一望のもと…
山口県美祢市、国定公園秋吉台の地下100mにあり、龍泉洞(岩手県)、龍河洞(高知県)とともに日本三大鍾乳洞に数えられるのが秋芳洞(あきよしどう)。総延長11.2kmのうち、1kmが観光コースとして一般公開され、洞奥の琴ヶ…
日清戦争の講話会議は、明治28年4月17日に下関の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう)で開かれ、下関条約(日清講和条約)が締結されました。会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席。…