関東七名城とは!?
関東七名城とは江戸時代、元禄6年(1693年)頃に夏目定房が記した上杉謙信、景勝2代を中心としたの軍記物『管窺武鑑』(かんきぶかん)で選ばれた関東地方に存在する、川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、太田城の…
関東七名城とは江戸時代、元禄6年(1693年)頃に夏目定房が記した上杉謙信、景勝2代を中心としたの軍記物『管窺武鑑』(かんきぶかん)で選ばれた関東地方に存在する、川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、太田城の…
江戸に幕府を開いた徳川家康は、利根川東遷事業、江戸の上水道整備など数多くの土木プロジェクトも行なっていますが、西日本などの主要な拠点におもに外様の諸大名に命じて、新たな城を構築しました。この大事業が天下普請(てんかぶしん…
鳥取県のスイカ出荷高は全国5位。日照時間が長く、適度な降水量と水はけの良い土壌をもつ鳥取県は、甘味が強く美味しいスイカを育てやすい環境にあり、「とまり美人」(湯梨浜町泊地区)、倉吉西瓜 と極実西瓜(倉吉市)、大栄西瓜(北…
日本の高山や冷寒地に生育するエーデルワイス8種を図鑑的に紹介。「白いつゆに ぬれて咲く」と映画『サウンド・オブ・ミュージック』にも歌われるヨーロッパアルプスの名花を、この夏、国内で探しましょう。オオヒラウスユキソウ、ハヤ…
「日本の森林の中でも特に優れた美観を有する青森県の青森ヒバ、秋田県の秋田スギ、長野県の木曽ヒノキの天然林」(林野庁)が日本三大美林。そのうちの青森ヒバは、強い芳香を有するヒノキ科の植物ですが、実はヒノキとも異なり、アスナ…
JRで走る車両の横に、モハ、クモハ、クハ、サハなどと記されていますが、これは、鉄道の基礎中の基礎といえる知識です。これを知っておけば、旅行だけでなく、通勤電車でも少し役に立つかもしれません。古くは鉄道省が決めたもので、現…
奈良県生駒郡斑鳩町(いかるがちょう)にある法隆寺・五重塔(現存世界最古の木造五重塔で国宝)、法起寺・三重塔(三重塔としては日本最古で、国宝)、法輪寺・三重塔(昭和50年の再建)という聖徳太子とその一族ゆかりの仏塔が、斑鳩…
多摩川上流部、小河内ダム・奥多摩湖や氷川渓谷、鳩ノ巣渓谷の南に連なる大岳山、御前山、三頭山(みとうさん)の総称が、奥多摩三山。少しロングコースにはなりますが、ケーブルを利用した御岳山から大岳山、御前山、三頭山へと縦走する…
昭和21年、米軍統治下の奄美大島・旧名瀬市で創刊され、奄美群島の主読新聞になっているのが南海日日新聞。地方文化の復権、奄美学の興隆を背景に、昭和57年に南海日日新聞が公募、選定したのが奄美十景(あまみじっけい)。奄美大島…
日本三景に数えられる宮津湾を横切る全長3.6kmの砂州が天橋立。東西南北の山上から一望にするのが、天橋立四大観。股のぞき観と呼ばれる股のぞき発祥の傘松公園からだと、「斜め一文字」に砂州が伸び、飛龍観は垂直に、雪舟観と一字…
寛永20年(1643年)に刊行された林春斎(はやししゅんさい/林羅山の三男・林鵞峰)の『日本国事跡考』の陸奥国のくだりで、松島、丹後・天橋立、安芸・宮島(原文は厳島)を卓越した三つの景観(原文は「三處奇觀」)としたのが、…
明治6年1月15日の太政官布達第16号「公園設置ニ付地所選択ノ件」で東京府に誕生した5ヶ所の公園が近代における日本最初の公園。浅草公園(浅草寺)、上野公園(現・上野恩賜公園/寛永寺)、芝公園(増上寺)、深川公園(富岡八幡…
江戸市中の武家屋敷や商家に上水を供給した神田上水の源流、井の頭池(三鷹市)、周辺の田畑を潤した善福寺池(杉並区)、三宝寺池(練馬区)が、武蔵野三大湧水池。現在は地下水をポンプアップしていますが、かつては武蔵野台地の縁、武…
若き日の渋沢栄一に大いに影響を与えた尾高惇忠(おだかあつただ)は、渋沢栄一の従兄弟(いとこ)で、義理の兄。富岡製糸場の初代場長をも務めています。深谷市には生家が現存し、尾高惇忠、渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと…
奈良県橿原市(かしはらし)にある香具山(かぐやま=天香具山/152m)、畝傍山(うねびやま/198.5m)、耳成山(みみなしやま/139.3m)が大和三山で三角形を形成する中心に日本で初めての本格的な都として築かれた藤原…
京都三熊野は、新熊野神社 (いまくまのじんじゃ=熊野本宮大社)、熊野神社(=熊野速玉大社)、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ=熊野那智大社)の3社。阿弥陀如来(本宮)は来世の救済、薬師如来(新宮)は過去の救済、…
「侘び寂び」の千利休、「へいげもの」の古田織部、「綺麗さび」の小堀遠州が俗にいう三大茶人。信長、秀吉、家康と関わりながら、三千家の祖となった千利休、茶道織部流の祖の古田織部、そのふたりを受け継いだ遠州流茶道の祖、小堀遠州…
琵琶湖の東、湖東にある天台宗の名刹、3ヶ寺が湖東三山。もともとは湖東五山でしたが応仁の乱や織田信長の焼き討ちで他の2ヶ寺が衰退し(敏満寺は廃寺に、大覚寺は復興)、湖東三山になったもの。共通するのは、文化財の豊富さ、関西屈…