雷鳥沢ヒュッテ
富山県中新川郡立山町、立山黒部アルペンルート途中の最高所、室堂ターミナルからミクリガ池経由で、徒歩40分の地に建つ山小屋が、雷鳥沢ヒュッテ。スキーヤーズベッドのほか、和室29室、洋室2室を備え、観光利用にも十分に対応。し…
富山県中新川郡立山町、立山黒部アルペンルート途中の最高所、室堂ターミナルからミクリガ池経由で、徒歩40分の地に建つ山小屋が、雷鳥沢ヒュッテ。スキーヤーズベッドのほか、和室29室、洋室2室を備え、観光利用にも十分に対応。し…
東京都葛飾区東四つ木3丁目、綾瀬川に架る人道橋が、東四つ木避難橋。綾瀬川の東岸から、荒川河川敷へと緊急時の避難用に架けられた橋で、橋の延長上、南東方向にスカイツリーを眺望することから、日没(夕日)、夜景などの撮影スポット…
東京都文京区目白台1丁目にある急坂が、胸突坂。西側が肥後細川庭園(熊本藩細川家江戸下屋敷跡)、東側がホテル椿山荘庭園(山県有朋邸跡)という景勝地にある坂で、坂下には水神社(神田上水の守護神)が鎮座するので、水神坂とも呼ば…
東京都大田区西六郷1丁目にある公園(面積0.59ha)が、西六郷公園。古タイヤを利用した怪獣やロボットなどのモニュメントや遊具があるので、タイヤ公園として有名です。とくにシンボルの大怪獣は、高さ8m、全長20mという巨大…
東京都文京区弥生2丁目にある住民の通路となっている階段が、おばけ階段。段数は40段で、途中で屈曲する階段です。上りと下りで段数が異なることから「おばけ階段」というなが生まれたもの。かつては薄暗い階段でしたが、改修されて、…
富山県中新川郡立山町、室堂ターミナルからミクリガ池を経て、雷鳥沢方面に30分ほど歩いた場所に建つのが、らいちょう温泉雷鳥荘。標高は2370mで、ミクリガ池畔の高台に建つみくりが池温泉に次ぐ、日本第2位の高所温泉ということ…
愛媛県西予市城川町にある縄文時代の遺跡が、穴神洞遺跡(あながみどういせき)で、その下部が鳥巣式石灰岩(とりのすしきせっかいがん)が浸食された穴神鍾乳洞になっています。昭和44年、地元の中学生によって発見された鍾乳洞で、全…
東京都世田谷区岡本2丁目にある江戸時代後期の典型的な農家の家屋を再現した民家園が、岡本公園民家園。次大夫堀公園民家園とともに世田谷区内の古民家を移築し、往時の暮らしぶりを学ぶことができる施設になっています。
東京都世田谷区喜多見5丁目にある名主屋敷や民家からなる世田谷区立の民家園が、次大夫堀公園民家園(じだゆうほりこうえんみんかえん)。江戸時代後期〜明治時代初期の世田谷の農村風景と次大夫堀を復元した公園内に、古民家や水田が配…
愛媛県西予市宇和町と八幡浜市釜倉の境、笠置峠(かさぎとうげ)にある前方後円墳が、笠置峠古墳。江戸時代に参勤交代にも使われ、四国遍路の人々が行き交った八幡浜街道・笠置峠ですが、古墳時代前期の4世紀初め頃に築かれた墳丘長45…
愛媛県八幡浜市保内町、峠越えの市道宮内伊方線のトンネルが、昭和27年開通、昭和33年改修の大峠隧道(おおとうげずいどう)。現在は、直下を国道197号・大峠トンネルが抜けるため、訪れる人もほとんどいませんが、トンネルのなか…
東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある世田谷区で唯一の歴史公園が、世田谷城址公園。中世、世田谷吉良氏の居城・世田谷城の城跡で、吉良御所、世田谷御所と呼ばれていました。小田原の後北条氏と親戚関係を結んだ吉良氏の城跡には、土塁や丘…
東京都世田谷区世田谷1丁目、世田谷代官屋敷の敷地内に建つのが、世田谷区立郷土資料館。世田谷区政30周年事業で昭和39年に開館した、都内最古の区立博物館。一帯は江戸時代、彦根藩の領地で、世田谷領20ヶ村の代官屋敷だった大場…
東京都世田谷区世田谷1丁目、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヶ村(2306石)の代官を世襲した大場家の役宅が、世田谷代官屋敷。大名領の代官屋敷としては現存する都内唯一の遺構で、東京都の史跡。主屋と表門の2棟は、国の重…
愛媛県喜多郡内子町、内子町八日町護国伝統的建造物群保存地区にある江戸時代後期から明治時代の商家の建物を再生したミュージアムが、商いと暮らし博物館。館内では、大正10年頃の薬局を営む商家の暮らしを人間さながらの動きをする人…
東京都千代田区丸の内1丁目、東京駅の16・17番線ホーム、18・19番線ホームの2ヶ所に置かれているのが、東京駅0キロポスト(東海道新幹線0キロポスト)。0キロポスト(ゼロキロポスト)とは鉄道の起点を表す0km poin…
愛媛県喜多郡内子町、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された八日市護国地区にある町家(旧米岡家住宅)を再生したのが、町家資料館。寛政5年(1793年)築で、八日市護国地区でも現存する最古級の町家。復元修復したもので内部…
東京都千代田区丸の内1丁目、東京駅9番線・10番線直下の新幹線中央乗換口近くにあるのが、浜口首相遭難現場のマーク(丸の中に六角形の印)。浜口雄幸(はまぐちおさち・濱口雄幸)首相は、昭和5年11月14日、東京駅の第4ホーム…