岩崎弥太郎像
高知県安芸市、岩崎弥太郎生家近くに立つのが、岩崎弥太郎像。昭和60年、岩崎弥太郎生誕150年を記念して有志が上江ノ川公園に建立し、その後、生家前に移設されたもの。像の高さは3.3m、台座の高さ1.1mという立派な像で、和…
高知県安芸市、岩崎弥太郎生家近くに立つのが、岩崎弥太郎像。昭和60年、岩崎弥太郎生誕150年を記念して有志が上江ノ川公園に建立し、その後、生家前に移設されたもの。像の高さは3.3m、台座の高さ1.1mという立派な像で、和…
高知県長岡郡本山町を流れる吉野川の上流部に架る沈下橋(潜水橋)が下津野沈下橋(しもつのちんかばし)。国道439号側の下津野地区と対岸を走る高知県道262号(磯谷本山線)沿いの渡津地区、宮ノ谷地区、谷間の仁井田神社を結ぶ生…
高知県高岡郡津野町、津野町役場西庁舎近くに立つのが吉村虎太郎像(よしむらとらたろうぞう)。吉村虎太郎は、土佐国高岡郡芳生野村(高知県高岡郡津野町)の庄屋に生まれながら、武市瑞山に剣術を習い、尊皇攘夷に傾倒。土佐勤王党に加…
高知県高知市、土佐藩歴代藩主を祀る山内神社の境内にあるのが山内容堂像(やまうちようどうぞう)。社殿に向かい合う形で建立された像で、「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」というように、片手にギヤマンの杯を持ちあぐらをかいている姿の坐…
高知県南国市、高知龍馬空港(高知空港)のターミナル横に設置されているのが、吉田茂像。もともと緑の広場に設置されていましたが、観光客も訪れやすいようにと旅客ターミナルビル近くに移設。吉田茂像は、高知県内に16ヶ所ある「土佐…
愛媛県西宇和郡伊方町、佐賀関(大分県大分市)への国道九四フェリーが発着する三崎港にある国の天然記念物に指定される巨大なアコウが、三崎のアコウ。佐田岬半島はアコウ生育の北限域にあたり、4本のアコウが茂っています(大正10年…
愛媛県西宇和郡伊方町、日本一長い半島ともいわれる佐田岬半島の先端部にあるビュースポットが水尻展望台(みずしりてんぼうだい)。佐田岬灯台を眼下にする展望地としては椿山展望台、水尻展望台があり、あまり知られていないのが水尻展…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡に突き出した佐田岬半島の先端部にある人気のビューポイントが、椿山展望台。佐田岬灯台、そして豊予海峡越しに大分県の高島、佐賀関半島を眺望できます。その名の通りヤブツバキが自生し、冬~早春にかけ…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡へと伸びる佐田岬半島の先端(四国最西端)、御籠島(みかごじま/大島)にあるのが、洞窟式砲台跡(佐田岬第四砲台)。太平洋戦争末期に築かれた帝国陸軍・豊予要塞の穹窖砲台(きゅうこうほうだい)のひ…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡へと伸びる佐田岬半島の先端にある島が御籠島(みかごじま/大島)で、豊予海峡を一望し、佐田岬灯台を眺めるビュースポットが御籠島展望所。名実ともにここが四国の最西端。近くには豊予要塞の洞窟式砲台…
愛媛県西宇和郡伊方町、豊予海峡へと伸びる佐田岬半島の先端部北側にある軍用桟橋の遺構が、旧正野谷桟橋(きゅうしょうのだにさんばし)。長さ50m、幅5mのコンクリートと一部鉄製の桟橋。陸軍豊予要塞・佐田岬第二砲台の資材陸揚げ…
東京都新島村(にいじまむら)、式根島の玄関口、野伏港の東、小浜港の中間にあるのが高森灯台。昭和5年、75歳になる宮川タンが築いた石油ランプ式の灯台で、灯台に至る200段もの石段も自力で築いています。さらに完成後には、杖を…
群馬県前橋市の赤城山南麓の古墳密集地帯、城南地区にある大室古墳群(国の史跡)のひとつが前二子古墳。墳丘長94m(全長148m)の前方後円墳で、石室も公開されています。しかも前二子古墳は、明治13年、日本で最初に西洋の科学…
千葉県船橋市、船橋大神宮の境内にある明治13年に設置された歴史ある灯明台(とうみょうだい=灯台の前身)が、船橋大神宮灯明台。慶応4年(1868年)、戊辰戦争の戦火で船橋大神宮にあった常夜灯が焼失し、代わって築かれたのが船…
高知県高知市五台山、高知県立牧野植物園の南園にあるのが「日本の植物分類学の父」といわれる植物学者・牧野富太郎の採取風景をイメージして制作されたブロンズ像、牧野富太郎像。牧野富太郎の業績を顕彰する高知県立牧野植物園に、昭和…
高知県安芸郡芸西村、ロングビーチが続く琴ヶ浜(ことがはま)の琴ヶ浜野外劇場駐車場東側に立つのがお龍君枝姉妹像。桂浜(高知市)の坂本龍馬像に向かって手を振る龍馬の妻・お龍と、お龍の妹・君枝の姉妹像です。お龍は龍馬死後の一時…
高知県幡多郡大月町、高知県西南端、大月半島の先端に位置する柏島と四国本土を結ぶ橋が新柏島大橋。昭和42年、柏島大橋が完成し、それまで渡船で行き来した島が結ばれましたが、平成5年8月に高知県道43号(柏島二ッ石線)の新橋と…
高知県宿毛市、宿毛小学校のプール近くにあるのが野中兼山一族幽閉地。江戸時代初期の土佐藩家老・野中兼山は、港湾整備や新田開発などのインフラ整備に尽力しますが、過酷の労働への反発、さらには庶民の生活を圧迫し、怨嗟の念が高まっ…