倶利伽羅峠古戦場(倶利伽羅県定公園)
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
昭和5年に運輸省航海練習所の元練習船として進水し、数々の遠洋航海に出た日本丸。昭和59年に練習船としての役目を終え、横浜に永久的に錨を下ろしました。その帆船日本丸が係留保存されるのが横浜みなとみらい21地区にある日本丸メ…
長崎港ターミナルから定期便として運航される、やまざき海運の遊覧コース。3隻のクルーズ船「マルベージャ」(定員225名)、「マルベージャ3」(定員221名)、「観光丸」(定員300名)によるクルージングが楽しめる。軍艦島上…
長崎から18.5km、野母崎近くの海上にある周囲1.2kmの島が、軍艦島。海上から眺める姿が戦艦「土佐」に似ていたことから、軍艦島の名の由来ですが、正式名は端島(はしま)。もともとは水成岩の瀬だったのですが、三菱が買い取…
本土最西端の地、長崎県佐世保市の小佐々(こさざ)地区にある岬が神崎鼻(こうざきばな)。先端部分は神崎鼻公園として整備され、「日本本土最西端のシンボル塔」をはじめ、日本本土最端地との四極交流盟約を記念した直径15mの「四極…
西海国立公園に指定された多島海の群島、九十九島。それを南側から眺望するのが佐世保市各所にある展望所。船越展望所もそのひとつで、南九十九島観光の拠点、西海パールシーリゾートから車で3分ほどの距離にあるという好立地。展望台周…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
展海峰(てんかいほう)は、佐世保と九十九島を隔てる俵ヶ浦半島のほぼ中央(佐世保市下船越町)、標高166mにある展望台。展望台からは、真珠やカキの養殖イカダの浮かぶリアス式海岸の入江や、九十九島を見下ろす絶好のポイント。2…
北九十九島を隔てて平戸島を望む標高323mの冷水岳(ひやみずだけ/長崎県佐世保市)山頂に位置するのが冷水岳展望台。さらに北にある長串山公園とともに九十九島八景の中では最北部を楽しむ展望スポットになっています。冷水岳の山頂…
和歌山市加太沖、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。瀬戸内海国立公園に指定される沖ノ島の西端、淡路島との間にある友ヶ島水道にある灯台で、慶応3年(1867年)4月、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で…
坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15…
昭和32年、日本が初めて南極観測に参加するにあたって、現地での物資輸送を目的に犬ぞり隊を編成することになり、派遣されたのが22頭の樺太犬。稚内周辺から集められた樺太犬40頭は、昭和31年3月20日から稚内公園頂上訓練所で…
稚内市街西側の高台に広がる、47万平方メートルの広大な公園。公園の北端には、シンボル的存在の氷雪の門が立っています。高さ8mの門の間に、訴えるかのように立つ2.4mの女人像は、樺太(からふと)への望郷の念と、そこで亡くな…
平安遷都の際、非業の死を遂げた早良親王(さわらしんのう=光仁天皇の皇子)の霊を鎮めるため、桓武天皇によって造営されたもの。正式名は御霊神社ですが、御所南東にある下御霊神社に対して、北に位置するため上御霊神社と呼ばれていま…
中禅寺湖の名前の由来ともなった寺で、延暦3年(784年)、男体山登頂を達成した勝道上人(しょうどうしょうにん)によって創建された日光山輪王寺の別院が中禅寺。勝道上人は、天応2年(782年)に男体山登頂を達成し、その後、二…
大船駅のすぐ近く、無我相山(むがそうざん)の山頂に建ち、市街を見下ろす巨大な白衣観音像(護国観音像)で有名な大船観音。正式名は大船観音寺で、曹洞宗の寺。建造が開始されたのは、昭和4年のこと。戦争により一時中断を余儀なくさ…
天平神護元年(765年)、称徳天皇の勅願により藤原仲麻呂の反乱の鎮圧を目的に、鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王を造立したのがはじまりという奈良の古刹、西大寺。創建当時は、東の東大寺に対する西の大寺として繁栄。寺域…