水若酢神社
隠岐国(おきのくに)の一之宮でもある水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、隠岐の島町(島後)の五箇地区にある黒松に囲まれた古社。創建は神代(崇神天皇の時代)といわれ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と…
隠岐国(おきのくに)の一之宮でもある水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、隠岐の島町(島後)の五箇地区にある黒松に囲まれた古社。創建は神代(崇神天皇の時代)といわれ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と…
隠岐の漁具、山樵具、農耕具、生活用具、郷土芸能資料などを展示した資料館が隠岐郷土館。レトロな擬洋風建築は明治18年に隠岐島4郡(周吉、穏地、海士、知夫)の郡役所として西郷湾の近くに建てられ、郡役所、隠岐島庁、隠岐支庁舎と…
慶雲年間(704年〜708年)に武蔵国秩父郡(現・埼玉県秩父市黒谷)から自然銅(にぎあかがね=熟銅)が発見され、708(慶雲5)年正月11日に朝廷(藤原宮)に献上されました。元明天皇は、同日に元号を「和銅」に改元、日本最…
聖武天皇の勅願で742(天平14)年、諸国に建立された国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺)のひとつで、隠岐国(おきのくに)に建立されたのが隠岐国分寺。明治2年の廃仏毀釈によって焼き払われるまで後継寺院である隠岐国分寺の…
隠岐の島町の西海岸、中ノ島、西ノ島の島前を眺めるのが那久岬(なぐさき)。岬突端には白亜の那久岬灯台が建っていますが、岬の根元部分の標高70mほど高台に位置するのが那久展望所。島前を一望にし、夕日の名所となっているほか、灯…
億岐家(おきけ)は、大国主命の後裔といわれ、代々隠岐国造(おきのくにのみやつこ)、隠岐国国司、玉若酢命神社宮司を務めた社家の家系。玉若酢命神社の社家である億岐家住宅・宝物殿には国の重要文化財に指定された隠岐国驛鈴(駅鈴=…
隠岐の島の南、玄関口である西郷港近くの甲野原にある古社が玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)。社伝では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父・景行天皇が皇子を各国に分置し、隠岐国に遣わされた大酢別皇子(おおすわけの…
隠岐の島町の横尾山(572.8m)から流出する那久川にかかる滝で、「日本の滝百選」に選定の名瀑が壇鏡の滝(だんぎょうのたき)。落差45mの雄滝(右)、落差約35mの雌滝(左)と2本が並んで懸かり、雄滝は滝の裏側の岩窟に回…
『出雲国風土記』にもその効能がうたわれる古湯、玉造温泉(たまつくりおんせん)の東に広がる宮垣地区の丘陵地に造られた2.8haの史跡公園が出雲玉作史跡公園。一帯は古代に地名の由来となった勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)な…
日御碕(ひのみさき)の最西端に位置する小島が経島(ふみしま)。かつて日御碕神社・日沈宮(下の宮)の社殿のあった島と伝えられ、8月7日の例祭(『神幸祭』・みゆきしんじ)の際に宮司だけが渡ることのできる神域となっています。そ…
「国譲り神話」の聖地として伝えられるのが出雲市大社町の稲佐の浜。『古事記』にも神々により国譲りの話し合いが行なわれた場所と記されています。今も旧暦の10月10日(新暦の11月14日頃)、夜7時から出雲に集まる神々を迎える…
日御碕(ひのみさき)の突端、出雲日御碕灯台近くに建つ日御碕神社。神の宮(上の宮)に素盞鳴尊(すさのおのみこと)、日沈宮(下の宮)に天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っています。『出雲国風土記』、『延喜式神名帳』に記され…
平成2年に廃線となったJR大社線(明治45年開業・出雲市〜大社間7.5km)。出雲大社の大祭に遣わされる皇室の勅使をもてなすための貴賓室を有する旧JR大社駅は、その建築学的な価値から廃業時のままの状態で保存されています。…
「国譲り神話」ゆかりの日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)が鎮座する島根半島最西端の岬が日御碕。出雲大社に近い稲佐の浜から日御碕まで続く隆起海岸は、美しい景観が続きドライブにも絶好。夕日の名所として名高く、出雲日御碕灯台の周…
島根県安来市を流れる富田川(とだがわ)の東岸、標高183.8mの月山(がっさん)の山上にある周囲1.5km四方という大規模な中世の山城が月山富田城(がっさんとだじょう)。戦国時代に一大勢力を誇った尼子氏の居城。城が築かれ…
中海に浮かぶ大根島(松江市)は江戸時代、遠州(静岡県)の秋葉山からボタンを移植し、以後山陰一のボタンの産地となった場所。日本庭園由志園はその大根島にある1万坪という広大な日本庭園。ゴールデンウィーク頃には250種・2万本…
美保関灯台のある地蔵崎の入口、美保関の入江の奥に鎮座するのが美保神社。『出雲国風土記』に登場の歴史ある古社で、「国譲り神話」に登場する事代主命(ことしろぬしのみこと・恵比寿神)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)が祭神。本…
美保神社と仏谷寺(ぶっこくじ)を結ぶ全長260mほどの路地が青石畳通り。約500個の石が敷かれた石畳の道は江戸時代の参拝道だったもの。石畳は北前船の物資の積み降ろし作業の効率化を目的に、海石を切り出して江戸時代から大正時…