菰山塚古墳
大阪府堺市堺区、日本最大の古墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の後円部西、外濠から100mほど離れた場所に築かれた帆立貝形古墳(現存する墳丘長33m)が、菰山塚古墳(こもやまづかこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、世界文化遺産…
大阪府堺市堺区、日本最大の古墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の後円部西、外濠から100mほど離れた場所に築かれた帆立貝形古墳(現存する墳丘長33m)が、菰山塚古墳(こもやまづかこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、世界文化遺産…
大阪府堺市堺区、大仙公園の西端にある円墳(復元)が、七観山古墳(しちかんやまこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、上石津ミサンザイ古墳の後円部周濠の北側に位置するため、その陪冢(ばいちょう)とされています。昭和27年に土取りに…
大阪府堺市堺区、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の周濠(外濠)の北東側、外濠に寄り添うように築かれた古墳が、源右衛門山古墳(げんえもんやまこふん)。現状で直径34mの円墳で、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪冢(ばいちょう)と推測され…
大阪府堺市堺区の大仙公園内にある5世紀中頃(古墳時代中期)築造の帆立貝形古墳が、竜佐山古墳(たつさやまこふん)。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚(ばいちょう=親族、臣下を埋葬した古墳)で、百舌鳥古墳群を構成。世界文化遺産「…
大阪府堺市堺区の大仙公園内にある5世紀前半(古墳時代中期)築造の帆立貝形古墳が、孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚(ばいちょう=親族、臣下を埋葬した古墳)とされ、百舌鳥古墳群を構成する古…
岐阜県美濃加茂市、JR高山本線・古井駅(こびえき)の北、飛騨川に架かる青柳大橋の西にあるのが、古井の天狗山(こびのてんぐさん)。「お願い事の神様」として古くから知られ、大天狗像は、像高12mで、日本一巨大な天狗像となって…
岐阜県多治見市、昭和5年にドイツの宣教師、アーノルド・ヤンセンが組織した神言会の日本管区総本部としてモール神父によって建てられたのが、カトリック多治見教会(神言修道会多治見修道院)。神言会が設立した南山学園における教育活…
岐阜県美濃市、1300年の伝統を誇る伝統的工芸品、美濃和紙の産地にある紙のテーマパークが、美濃和紙の里会館。美濃和紙の歴史、製造工程、暮らしの中に息づく和紙を紹介し、あわせて販売、紙漉き体験が可能という、美濃和紙に特化し…
岐阜県美濃市、「うだつの上がる町並み」(美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区)の一角にある安永元年(1772年)創業の造り酒屋が、小坂酒造場。安永年間(1772年~1781年)頃の築造と推測される「小坂家住宅」は、江戸時代…
長良川の中流域、岐阜県美濃市立花にあるレンガ造りの水路式発電所が、長良川発電所。明治43年、名古屋電燈によって建設された歴史あるもので、名古屋市の発展を支えた貴重な産業遺産。レンガ造り2階建ての本館などの発電施設が、国の…
長良川の畔に位置する岐阜県美濃市は、水の恵みを生かした和紙づくりが盛んな地。「うだつの上がる町並み」(美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区)の一角に建つのが、美濃和紙あかりアート館。1階が無料休憩所と美濃和紙製品の販売を行…
岐阜県美濃市の美濃市美濃町伝統的建造物群保存地区にある古い商家を再生した史料館が、旧今井家住宅・美濃史料館。「うだつの上がる町並み」として有名な美濃町を代表する商家(美濃和紙の和紙問屋)が今井家で、代々兵四郎を襲名し、江…
岐阜県美濃市にある長良川の川湊(かわみなと)の遺構が、上有知湊(こうずちみなと)。船着場跡の石畳、住吉高燈籠(常夜灯)型の川湊灯台が残され、往時を偲ぶことができます。もともとは、小倉山城を築城した金森長近(かなもりながち…
岐阜県郡上市八幡町柳町、山上に郡上八幡城(日本最古の木造再建天守)の建つ城山公園、天守を見上げる山麓に立つのが、山内一豊と妻の像(やまうちかつとよとつまのぞう)。山内一豊の妻・千代(ちよ)は、初代郡上八幡城主・遠藤盛数の…
兵庫県神戸市中央区にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺が、本願寺神戸別院。昭和5年築、インド様式を取り入れたユニークな外観(インド風仏教式鉄筋造り)から、「モダン寺」と呼ばれていましたが、平成7年、老朽化に伴い旧寺院の…
岐阜県美濃市泉町、長良川に臨む小倉山の山上に建つ平山城が、小倉山城。慶長10年(1605年)、飛騨高山藩主・金森長近(かなもりながちか)が、養子の金森可重(かなもりありしげ)に高山城を譲って、隠居の城として築いた城。現在…
広島県三原市、臨済宗佛通寺派大本山という名刹が、佛通寺。応永4年(1397年)、小早川春平(こばやかわはるひら)が、元に渡航して修行した愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう=佛徳大通禅師)を迎えて創建した寺です。寺名は、愚中周…
広島県三原市八幡町に鎮座する古社が、御調八幡宮(みつぎはちまんぐう)。奈良時代の神護景雲3年(769年)、帝位を望んだ道鏡の野心を阻もうとして大隅に流された和気清麻呂の無事を祈るため、自身もこの地に流されていた清麻呂の姉…