シーマンズビーチのタイムトンネル
鹿児島県大島郡与論町古里、奄美十景に指定されている百合ヶ浜を望む景勝地、大金久海岸(シーマンズビーチ)南端に建つ百合ヶ浜展望休憩所(ゆいのお丘)から海岸に下ったところにある海蝕洞が、シーマンズビーチのタイムトンネルと呼ば…
鹿児島県大島郡与論町古里、奄美十景に指定されている百合ヶ浜を望む景勝地、大金久海岸(シーマンズビーチ)南端に建つ百合ヶ浜展望休憩所(ゆいのお丘)から海岸に下ったところにある海蝕洞が、シーマンズビーチのタイムトンネルと呼ば…
鹿児島県大島郡龍郷町、太平洋に面する海岸に干潮時にのみ現れるハート型の潮溜まりが、ハートロック。きれいなハートの見頃は、潮位80cm以下の干潮時、前後1時間で波が穏やかな時という限定的な条件があるので、奄美の潮見表を確認…
鹿児島県大島郡龍郷町、奄美大島の東部、有名なハートロックの北側の円形の入江が、赤尾木湾。昭和45年に鹿児島ラサール高校の山口志摩雄、前田一夫、町田明哲の3人の教師の調査により、隕石の落下によって生じたクレーターだと推測さ…
宮城県石巻市を流れる旧・北上川と北上運河の接続点に明治13年に完成した歴史ある閘門(こうもん)が石井閘門。ゲートはもともとは木製でしたが、昭和41年に鋼製に変更されています。日本最古のレンガ造り西洋式閘門で、国の重要文化…
東京都小笠原村、小笠原諸島・父島の南部、北側の小港海岸と、南側のブタ海岸の途中にあるのが中山峠展望台。車道は小港海岸までで、昔ながらの峠越えの山道がブタ海岸へと続き、さらにジョンビーチへのアクセス路は海上からを除いて、こ…
東京都小笠原村、小笠原諸島・母島の玄関口で「ははじま丸」が着眼する沖港近く、かつてのロース石の石切場近くある、母島特産のロース石でできたミュージアムがロース記念館。母島の開拓者であるドイツ人、フレデリッキ・ロルフスラルフ…
東京都小笠原村、小笠原諸島・父島の南西部にある素敵なビーチがジョンビーチ。ジョンビーチのある南崎周辺は石灰岩地帯なので、目にまぶしいほどの白砂のビーチが広がっています。プライベートビーチ気分で泳ぐことができますが、施設は…
東京都小笠原村、小笠原諸島・父島の南西に浮かぶ、南北1.5km、東西400mの無人島が南島。世界でも珍しい、沈水カルスト地形の島。島内には海水の入江となったドリーネ(窪地)の扇池があり、海水浴やスノーケリングも可能です。…
昭和62年7月16日に廃止となったJR東日本会津線を第三セクター方式に転換して開業したのが、会津鉄道の会津線。昭和63年4月27日には、塔のへつり駅設置、さらに会津田島駅〜会津高原尾瀬口駅間15.4kmを電化し、野岩鉄道…
宮城県柴田郡川崎町を流れる碁石川に建設されたダムが釜房ダム(かまふさだむ)。堤高45.5mの重力式コンクリートダムで、国土交通省直轄の特定多目的ダム。ダム湖の釜房湖は、「ダム湖百選」にも選定されるほか、仙台の水がめとして…
宮城県柴田郡川崎町、釜房湖(釜房ダムのダム湖)の湖畔に広がる国営公園が国営みちのく杜の湖畔公園。東北にある唯一の国営公園で、みちのく公園、湖畔公園とも呼ばれています。647.4haという広大な公園は、南地区「文化と水のゾ…
茨城県北茨城市にある明治44年稼働という歴史ある水力発電所が石岡第一発電所。二級河川の大北川から取水し発電する施設で、発電所全体が国の重要文化財に指定されています。明治38年、日立鉱山の電力供給を目的に、久原鉱業所(くは…
茨城県稲敷市と千葉県香取市の県境、利根川と横利根川の合流部に造られた大正10年完成のレンガ造りの閘門(こうもん)が横利根閘門(閘門自体は茨城県稲敷市に)。国の重要文化財に指定される横利根閘門の一帯に整備されたのが横利根閘…
茨城県水戸市、偕楽園にほど近い東町運動公園東側一角に建つミュージアムが茨城県立歴史館。館内では茨城県の歴史を古代、中世、近代にわけて展示解説を行なっています。隣接して考古資料集蔵庫を有し、考古学資料や民俗資料が充実してい…
福島県福島市土湯温泉町、土湯温泉にある情報発信拠点が土湯温泉観光交流センター「湯愛舞台」(ゆめぶたい)。鳴子こけし(宮城県大崎市)、遠刈田こけし(宮城県蔵王町)とともに日本三大こけしに数えられる「土湯こけし」の絵付け体験…
宮城県栗原市の旧花山村地域にある国の史跡になっている遺構が、仙台藩花山村寒湯番所跡(せんだいはんはなやまむらぬるゆばんしょあと)。「仙北御境目」といわれる小安街道・花山越えの秋田口の関所で、慶長年間(1596年〜1615…
宮城県名取市を走るローカル鉄道が、仙台空港鉄道。東北本線・名取駅から分岐して仙台空港駅に至る、全長約7kmの空港アクセスの路線が仙台空港鉄道仙台空港線。宮城県、仙台市、名取市、JR東日本などが出資する第三セクター方式の運…
宮城県伊具郡丸森町にある文化元年(1804年)から昭和にかけて7代続いた豪商・齋藤家の屋敷を再生したミュージアムが、蔵の郷土館齋理屋敷。代々の当主が齋藤理助(さいとうりすけ)を名乗ったことから齋理と呼ばれています。昭和6…