禅師峰寺(四国八十八ヶ所霊場第32番札所)
神亀年間(724~729年)、聖武天皇の勅願により行基が開いたという高知県南国市の古刹が禅師峰寺(ぜんじぶじ/四国八十八ヶ所霊場第32番札所)。807(大同2)年に空海(弘法大師)が巡錫し、土佐沖の航海の安全を祈願しなが…
神亀年間(724~729年)、聖武天皇の勅願により行基が開いたという高知県南国市の古刹が禅師峰寺(ぜんじぶじ/四国八十八ヶ所霊場第32番札所)。807(大同2)年に空海(弘法大師)が巡錫し、土佐沖の航海の安全を祈願しなが…
延暦年間(782~806年)、空海(弘法大師)の開山という古刹が雪蹊寺(せっけいじ)で、四国八十八ヶ所霊場33番札所。創建当時は少林山高福寺と称する真言寺院でしたが、鎌倉時代に運慶とその長男・湛慶が来山して慶運寺と改称し…
高知城は、1601(慶長6)年から10年の歳月を費やし、土佐藩の初代藩主・山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した平山城。現存する天守は、1727(享保12)年に城下の大火の延焼で焼失後、1753(宝暦3)年に再建されたも…
土佐出身の板垣退助は、自由民権運動の指導者のひとりで第2次伊藤内閣の内相。明治維新以前は土佐藩の藩士だったこともあって、板垣退助像が高知城の追手門をくぐってすぐの石段の上り口に立っています。
四万十川(しまんとがわ)に架かる現存する最古の沈下橋が一斗俵沈下橋で国の登録有形文化財。昭和10年の建造で、全長60.6m、幅員2.5m。四万十町の壱斗俵集落(県道19号沿線)と米奥集落(県道322号沿線)を結ぶ、町道米…
高知城の玄関(大手)にあたる追手門から入城した高知県立図書館前に立つのが、土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)の騎馬銅像、山内一豊像。平成8年9月20日、山内一豊の祥月命日(しょうつきめいにち)に再建除幕されたも…
高知城にある千代と馬の像。初代土佐藩主となった戦国大名の山内一豊(やまうちかつとよ)。その妻・千代(ちよ)が、高価な名馬を購入するため、持参金、いわばへそくりを夫に差し出したという有名な逸話がモチーフとなっています。
室戸岬の先端に建つ室戸岬灯台(むろとざきとうだい)は、明治32年築の白亜の灯台で現存する鉄造の灯台としては姫埼灯台(佐渡島・明治29年点灯)に次ぐ古いもので海上保安庁のAランク(23基)の保存灯台、「日本の灯台50選」に…
高知城の本丸にそびえる天守は現存12天守(弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)のひとつ。望楼型天守の典型で、外観は4重、内部は5階建て…
高知市内中央に位置する高知城は、国の史跡、そして「日本100名城」にも選定されています。書院造の本丸御殿は懐徳館(かいとくかん)として、山内家ゆかりの品や土佐の偉人、歴史資料などを展示、公開。上段の間、二の間、三の間、四…
高知城の本丸と二の丸をつなぐ櫓門が詰門。北面は入母屋造り、廊下門(国の重要文化財)に接続する南面は、本瓦葺きとなり、門内に侵入した敵が簡単に通り抜けられないよう筋違いのからくり門としての役目も果たしています。高知城に現存…
高知城本丸の搦め手(裏側)の防備を固めた門が黒鉄門(くろがねもん)。入母屋造り、本瓦葺きの楼門で国の重要文化財。外観上は漆喰塗の壁が見あたらず、柱、門扉などに多数の小鉄板が打ちつけ、すべて板張りで黒く塗られているので黒鉄…
高知城の表門(大手)にあたる追手門(おうてもん)は、1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。…
洪水の多い四万十川(しまんとがわ)では川の増水時には水の抵抗を少なくするため、水中に沈むようにと設計された橋が架けられています。これが沈下橋(ちんかばし)といわれるもので、現在は本流に大小合わせて21本の沈下橋が架橋。も…
宮ヶ瀬ダムのダム建設工事中に活躍したダンプトラック搭載型インクライン(ダンプを運ぶケーブルカー)の一部を活用し、宮ヶ瀬ダムのダムサイトに設置されたケーブルカー。ダム完成後は山麓停車場〜山頂停車場間を結ぶケーブルカーとして…
相模川水系中津川に建設された堤高156.0mの重力式コンクリートダムが宮ヶ瀬ダムで、平成12年に完成した東京近郊では最大のダム。関東地方では奈良俣ダム(楢俣川/堤高158.0m)に次ぐ高さで浦山ダム(浦山川・堤高156….
海中公園に指定された竜串海岸にある足摺海底館「海中展望塔」。全国に7ヶ所ある海中展望塔のひとつで、らせん階段を下りるとそこは水深7mの海中世界。直径60cmの大きな海中窓からは、テーブルサンゴやシコロサンゴなどが生育し、…
花崗岩でできた足摺岬の海岸線を黒潮の荒波がうち砕いてできた巨大な海食洞が白山洞門。近くに足摺岬の産土神(うぶすながみ)、白山神社があるため白山洞門と呼ばれています(大正5年に白皇山上の白皇神社=白皇山真言修験寺と合祀され…