月山富田城

月山富田城

島根県安来市を流れる富田川(とだがわ)の東岸、標高183.8mの月山(がっさん)の山上にある周囲1.5km四方という大規模な中世の山城が月山富田城(がっさんとだじょう)。戦国時代に一大勢力を誇った尼子氏の居城。城が築かれたのは12世紀後半と

島根県安来市を流れる富田川(とだがわ)の東岸、標高183.8mの月山(がっさん)の山上にある周囲1.5km四方という大規模な中世の山城が月山富田城(がっさんとだじょう)。戦国時代に一大勢力を誇った尼子氏の居城。城が築かれたのは12世紀後半と推定されています。国の史跡で「日本100名城」に選定。

戦国大名として名高い尼子氏の居城跡で中世山陰の首城

本丸には天守のような櫓が描かれています

1221(承久3)年、承久の乱の功により、佐々木義清が出雲・隠岐2国の守護となり、月山富田城に入城しています。
その後、中世には天然の地形を利用して歴代の出雲国守護職の居城となりました。

1395(応永2)年、尼子持久(あまごもちひさ=出雲尼子氏の祖)は、江州・京極高詮(きょうごくたかのり)の守護代として富田城に入り、持久の子・尼子清貞は京極氏からの独立を図るが失敗。
1486(文明18)年、清貞の子・尼子経久(あまごつねひさ)が富田城を奪還し、尼子氏の栄華が始まります。

富田城を拠点に、出雲大社の社殿を造営し、1521(大永元)年には安芸、備後、備中、備前、美作、播磨、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐の11ヶ国を手中に収めています。

1566(永禄9)年に毛利軍に敗れるまで、月山富田城は、尼子氏の根城として機能しています。
その後、毛利の居城となりますが、関ヶ原の合戦で徳川方に破れた毛利氏に代わり、堀尾吉晴が入城。
1611(慶長16)年、近世城郭としては不便なため、松江城を築いて山城としての機能を終え、廃城となっています。

難攻不落の山城は、「天空の城」とも呼ばれていた!

月山(183.8m)の山上に本丸を配し、北麓の菅谷口(すがたにぐち)からが大手道、富田橋を渡った御子守口(おこもりぐち)からの登城道が裏道の搦手道(からめてみち)となっていました。
さらに南麓の塩谷口からの裏手道が用意されていました。

3つの登城路は城主の館などのあった山中御殿(さんちゅうごてん)に通じ、急峻な七曲り(現在は石畳で舗装)で山上の本丸へと通じていました。
発掘されている石垣は、関ヶ原合戦以降、つまりは近世の堀尾吉晴時代のもの。

本丸の勝日高守神社(かつひたかもりじんじゃ)は、城の鎮守社で、築城以前から鎮座していたと推測されています。

山中御殿では石垣が復元され、山上の二の丸跡には休憩用の東屋を用意。
また、山中御殿の一段下にある花ノ壇には、発掘調査をもとに主屋と侍所が復元されています。
山麓の道の駅広瀬富田城を起点とし、山中御殿のあった御殿平から本丸に向かって七曲がりと呼ばれる山道を登って、1時間ほどの散策で山城を一巡可能です。

城跡の麓には「安来市立歴史資料館」があり、富田城跡(尼子・毛利・堀尾3氏の遺物)や中・近世の城下町の遺跡である富田川河床遺跡(とだがわかしょういせき)の出土品を展示しているので、ぜひ寄り道を。

なお月山富田城は、七尾城(石川県七尾市)、春日山城(新潟県上越市)、観音寺城(滋賀県近江八幡市)、小谷城(滋賀県長浜市)と並び、日本五大山城のひとつに数えられています。

大手門跡

大手道、搦手道、裏手道が合流する山中御殿平(さんちゅうごてんなり)の入口に位置する大手門。
高さ5m、幅15mの大手門は、月山富田城攻防の要で、実際に月山富田城の戦いでは押し寄せる敵軍を押し返したと伝えられますが、石垣のみが現存。
大井戸には今でも水を湛えています。

花ノ壇

山中御殿平の正面、一段下に位置するのが花ノ壇。
往時には花が植栽されていたので優美なその名がありますが、実は侍所。
御子守口からの城内道を見渡せるようになっており、防衛拠点としての機能も兼ね備えていました。
掘立柱建物等の施設跡が残っており、平成8年に一部が復元されています。

山中御殿跡

月山の中腹に位置する山中御殿平に建っていたのが山中御殿。
上下2段に分かれており、南側上段に城主の館、北側下段に付属の居館があったと伝えられています。
建物の基礎である礎石が発掘されていますが、時代は特定されていません。

菅谷口(菅谷虎門)

大手側の入口となる北側の菅谷口から山中御殿平に続く門が菅谷虎門(すがたにとらもん)で、石垣が現存しています。

三の丸跡

七曲りを登りきった袖ヶ平(そでがなり)のさらに一段上にあるのが三の丸。
発掘調査で、松江城築城の際に破却された石垣が見つかっています。

二の丸跡

遠くに中海、さらに日本海を望む二の丸。
双児井戸跡が残るほか、石垣跡も発掘されています。

本丸跡

月山最高所(吐月峰)に位置するのが本丸。
中世には最後の砦として、重要な機能がありましたが、近世には城主の生活場や機能が山腹の山中御殿に移っています。
中世の城郭のため櫓的な建物があったと推測できますが、天守は建っていないと見るのが通説です。
山中鹿介幸盛記念碑からの眺望は絶景。
城の鎮守社、勝日高守神社が建っていますが、山麓の富田八幡宮はその里宮です。

月山富田城
名称月山富田城/がっさんとだじょう
所在地島根県安来市広瀬町富田
関連HP安来市観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR安来駅からイエローバス広瀬行きで20分、広瀬病院前下車、山麓まで徒歩5分、山頂までさらに30分
ドライブで山陰自動車道安来ICから約10.5kmで道の駅広瀬富田城
駐車場道の駅広瀬富田城駐車場(48台/無料)を利用
問い合わせ安来市立歴史資料館 TEL:0854-32-2767
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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