王子が岳・にこにこ岩
岡山県倉敷市と玉野市の境にある太平洋に臨む王子が岳、新割山一帯は、花崗岩の巨石が山頂部に累々と連なる奇観で知られる地。瀬戸内海に落ちる断崖にへばりつくように巨石があり、巨石ファンならずとも心躍る光景です。なかでも人気なの…
岡山県倉敷市と玉野市の境にある太平洋に臨む王子が岳、新割山一帯は、花崗岩の巨石が山頂部に累々と連なる奇観で知られる地。瀬戸内海に落ちる断崖にへばりつくように巨石があり、巨石ファンならずとも心躍る光景です。なかでも人気なの…
鷲羽山(わしゅうざん)山上の展望スポットのうち、以外に見落としがちなのが、『本日、のぞみ晴れ。』展望地。巨岩の上から瀬戸大橋と瀬戸内海を見渡す絶景スポットで、JR西日本の平成19年のCM『本日、のぞみ晴れ。』で女優・竹内…
雲辺寺(うんぺんじ)は、四国八十八ヶ所霊場第66番札所で本尊は千手観世音菩薩。正式名は巨鼇山千手院雲辺寺といい、真言宗御室派の寺。65番の三角寺から徒歩7時間。標高927mの雲辺寺山の山頂にあり、四国霊場の最高所で別名「…
愛媛県宇和島市にある和霊神社(われいじんじゃ)は、宇和10万石の領主となった初代・伊達秀宗(だてひでむね)が家老に抜擢した、山家清兵衛(やんべせいべえ=山家公頼)が祭神の神社。承応2年(1653年)、伊達秀宗が創建したも…
佐賀県佐賀市にある古社、與止日女神社(よどひめじんじゃ)。『肥前国風土記』によれば百済(くだら)から仏教伝来の欽明天皇(きんめいてんのう)の御代に創建されたといい、祭神は神功皇后の妹、與止日女命 (よどひめのみこと)。肥…
佐賀県嬉野市の名湯で、斐乃上温泉(ひのかみおんせん/島根県奥出雲町)、喜連川温泉(きつれがわおんせん/栃木県さくら市)とともに「日本三大美肌の湯」ともいわれる嬉野温泉。そんな嬉野温泉を気軽に楽しめる日帰り入浴施設が「うれ…
佐賀県武雄市にある九州屈指の古社が武雄神社。天平3年(735年)、伴行頼に神託があり、大宰府を通じ朝廷に奏上して武内宿禰(たけうちのすくね=景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えたという伝説上の忠臣)を祭神として…
佐賀県多久市にある多久聖廟(たくせいびょう)は、宝永5年(1708年)、多久鍋島家4代・多久茂文(たくしげふみ)が、儒学の祖・孔子を祀るため、邑の学問所(後の東原庠舎)に建てた孔子廟。現存する孔子廟(孔子を祀るお堂)とし…
宮崎県日南市の古来、貿易で栄えた油津にある古社が吾平津神社(あひらつじんじゃ)。社伝によれば和銅2年(709年)創建で、かつては乙姫大明神と称し、江戸時代、飫肥11社の一社として歴代飫肥藩主の尊崇を受けていました。社前の…
貞享3年(1686年)、飫肥杉(おびすぎ)を広渡川から油津湊へと運ぶために、飫肥藩主・伊東祐実の命で開削されたのが全長900mの堀川運河。その運河の吾平津神社社前に架かる石橋が堀川橋です。明治36年8月に飫肥の石工・石井…
神仏習合時代に、霊峰・高千穂峰を取り囲む聖地に祀られた霧島六所権現(霧島六社権現)のひとつが都城市の東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)。神仏習合の江戸時代までは東霧島権現で、現在の主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。御…
飫肥藩(おびはん)が飫肥杉を広渡川から油津湊まで運ぶために開削した運河が日南市油津にある堀川運河。天和3年(1683年)、飫肥藩主・伊東祐実(いとうすけざね)の命で着工し、28ヶ月の歳月をかけて完成しています。この運河の…
クルス(cruz)はポルトガル語で十字、十字架の意味(ラテン語:crux)。宮崎県日向市の日向岬の海岸で、柱状節理の発達した岩礁が浸食で節理に沿って東西200m、南北220mに裂けており、上から見ると十字に見えるのでクル…
天孫降臨伝説の地、宮崎らしく神武天皇を主祭神とする歴史ある神社が宮崎市神宮に鎮座する宮崎神宮。地元・宮崎では「神武さま」と親しまれています。社伝によれば神武天皇の孫で、阿蘇開拓の神でもある健磐龍命(たけいわたつのみこと)…
阿蘇市一の宮町にあり、創建は神代に遡ると伝えられる古社で、一の宮町の町名も阿蘇神社が肥後国(ひごのくに)一之宮であることに由来します。阿蘇開拓の祖で神武天皇の孫といわれる健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ、十二神を…
韓国料理店や食品店が並ぶ新大久保駅近くにある、宝くじの当選祈願で有名な神社が皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)。天文2年(1533年)創建の新宿・百人町にある古社。主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)で…
天草市河浦町の﨑津教会(﨑津天主堂)から、505段の石段を上った標高93mの小高い丘にあるのが「教会の見えるチャペルの鐘展望公園」。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっている「天草の﨑津…
新宿の繁華街の東の外れにある古社が西向天神社で、かつては東大久保村の鎮守社だった社。以前は大久保天満宮と呼ばれ、祭神は京の北野天満宮から勧請しています。西向天神社という名は、太宰府を向くかたちで、社殿が西を向いているため…