十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所)

十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所)

徳島県阿波市にある十楽寺(じゅうらくじ)は、四国八十八ヶ所霊場第7番札所で6番の安楽寺からは徒歩18分。現在の寺地からは3kmほど離れた十楽寺谷の堂ヶ原に空海(弘法大師)が開基し、人間の持つ八苦(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)から逃れ、極楽浄土の10の光明に輝く楽しみが得られるように光明山十楽寺と号したという。

空海が人々の幸福を祈願して開いた古刹

十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所)
十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所)

往時には壮大な伽藍を誇りましたが、天正10年(1582年)、長宗我部軍阿波侵攻の兵火で焼失し、寛永12年(1635年)、現在の地に再建されしています。

今でも寺周辺に大門原や堂ヶ原、法教田などの地名が残り、往時の名残りをとどめています。
本尊は空海自刻と伝わる阿弥陀如来像。
朱塗りの鐘楼門は龍宮城を思わせる鮮やかさで、本堂も風格を漂わせています。

本堂左前にある治眼疾目救済地蔵尊は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、目を患ったお遍路さんの信仰を集めています。
四国八十八ヶ所霊場のなかでは、第24番・最御崎寺、第39番・延光寺の目洗い井戸、第52番・太山寺の一畑薬師が目に霊験あらたかといわれています。

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に反旗を翻した承久の乱の関係で阿波国配流となった土御門上皇(つちみかどじょうこう=後鳥羽天皇の第一皇子)の行在所(あんざいしょ)のあった所といわれ(諸説あり定かでありません)、もとは御所村と称していました。
土御門上皇は承久の乱で土佐の幡多に流され、その後、阿波国で8年間を過ごし37歳の若さで自刃したと伝えられています。

四国八十八ヶ所霊場間の距離・時間

6番札所・安楽寺(徳島県板野郡上板町引野8) — (1km/5分) — 7番札所・十楽寺(徳島県阿波市高尾法教田58) — (4km/10分) — 8番札所・熊谷寺(徳島県阿波市土成前田185)
 

十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所) DATA

名称 十楽寺(四国八十八ヶ所霊場第7番札所)/じゅうらくじ
所在地 徳島県阿波市高尾法教田58
関連HP 十楽寺公式ホームページ
電車・バスで JR板野駅からタクシーで15分
ドライブで 徳島自動車道土成ICから約2.7km
駐車場 30台/無料
問い合わせ TEL:088-695-2150/FAX:088-695-3885
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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