日本100名城 東海地区11城
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の…
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の…
2024年11月10日(日)18:00〜21:00、静岡県伊東市で『尻つみ祭り』。源頼朝と八重姫が逢瀬を楽しんだといわれる音無神社で執り行なわれ、真っ暗な社殿のなかで、お神酒を回すときに隣人の尻をツネったのが名の由来。境…
2024年10月27日(日)、『第34回峠の国盗り綱引き合戦』を開催。兵越峠(ひょうごしとうげ)は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1150mの峠。この県境で毎年、繰り広げられる綱引き大会で、勝った方には非公…
2024年10月13日(日)、長浜市で『長浜出世まつり(豊公まつり)』が開催されます。天正元年(1573年)、羽柴秀吉が近江長浜の琵琶湖湖畔に長浜城を築いたのが長浜発展の始まり。長浜出世まつり(豊公まつり)では、賤ヶ岳合…
2024年10月17日(木)10:00〜、静岡県静岡市駿河区の久能山東照宮で『秋季大祭』が齋行される。徳川家康を最初に祀ったのは、晩年に家康が暮らした駿府に近い久能山東照宮。国宝に指定された荘厳な社殿で、『秋季大祭』が斎…
2024年10月12日(土)18:00~19:30、長野市で『第30回川中島古戦場まつり大花火大会』。信玄と謙信が5度にわたって対峙し、そのうち2回は実際に激突した川中島の戦い。犠牲となった幾千の霊の追悼を込めて開催され…
清水さんは大姓20位で、全国に52万人ほどの清水さんが暮らしています。国民に占める割合は0.43%ほど。清い水の湧く所を意味する地形姓で、静岡市清水区(旧清水市)のように地名になった場所も多数。その清水を守る役割を担った…
戦国武将の人気投票をするとダントツでトップとなるのが織田信長。ところが、戦国時代に信長が震え上がらせたのは比叡山の僧侶や、一向一揆に立ち上がった農民、土豪だけではありません。猫好きも恐れおののく事件が多発。戦国時代の猫好…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で徳川家康の足跡をたどる散策コースが、徳川家康コース。最初に布陣した桃配山(ももくばりやま)から、戦況を好転させるために移動した陣場野の徳川家康最後陣地まで、家康進軍の足跡…
猫好きとして知られる戦国武将は、天下を取った豊臣秀吉を筆頭に、伊達政宗、島津義弘が有名で、この3人が記録に残る「猫好きの戦国三大武将」といえるでしょう。島津義弘は朝鮮出兵にも海を越えて猫を同伴。実は猫を愛したというだけで…
天下分け目とされる関ヶ原の戦いは、慶長5年9月15日(1600年10月21日)に美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で火蓋が切って落とされました。徳川家康率いる東軍、石田三成の西軍という構図で、徳川方の主力・徳川秀…
2024年5月11日(土)〜10月15日(火)、岐阜県岐阜市の『ぎふ長良川鵜飼』が開催。国の重要無形民俗文化財にも指定される鵜飼。鵜飼休み(9月17日)と増水時などの中止日を除いて毎日行なわれます。観覧船乗り場にて鵜匠に…
2024年8月24日(土)〜8月25日(日)、新潟県上越市で『第99回謙信公祭』が開催。戦国時代の名将、春日山城(かすがやまじょう)を拠点とした上杉謙信の遺徳を偲んで開催されます。『謙信公祭』では武田信玄と雌雄を決しよう…
愛知県安城市野寺町、野寺御本坊とも呼ばれる真宗大谷派の寺が、本證寺(ほんしょうじ)。重の堀(内堀・外堀)や土塁が巡る「城郭寺院」で、三河一向一揆(みかわいっこういっき)の拠点となったことから本證寺城とも称されています。本…
愛知県犬山市犬山愛宕、名鉄・犬山駅の南西、「デニーズ犬山店」の向かいにある中世の城跡が、木ノ下城。室町時代の文明元年(1469年)、織田広近(おだひろちか)が美濃の斎藤氏に備えるため築城したもので、南北200m、東西20…
愛知県蒲郡市神ノ郷町、国道23号蒲郡バイパス・蒲郡ICの南西にあるのが、上ノ郷城。戦国時代、鵜殿氏の城跡で、鵜殿氏は現在の蒲郡市内に上ノ郷城、下ノ郷城、不相城(ふそうじょう)、柏原城を築き、一帯を支配していましたが、永禄…
静岡県沼津市、駿河湾に突き出した全長1kmの砂嘴(さし)、大瀬崎(おせざき)に鎮座するのが、海の守護神として知られる大瀬神社(おせじんじゃ)。漁師たちが絵馬や船の模型を多数奉納し、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百…
その真相が今も謎に包まれ、戦国時代最大のミステリーともいわれる本能寺の変。少ない手勢で京に滞在中の織田信長が、家臣の明智光秀に本能寺で討たれる際に、発した言葉が、「是非に及ばず」だと伝えられています。用意周到な明智光秀の…