桜八幡神社
香川県高松市庵治町、古くは櫻之宮と称し、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと=大山津見神の娘)を祀っていましたが、承和7年(840年)に武神である八幡神(八幡大菩薩)を合祀したという庵治の氏神。映画『世界の中心で、愛…
香川県高松市庵治町、古くは櫻之宮と称し、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと=大山津見神の娘)を祀っていましたが、承和7年(840年)に武神である八幡神(八幡大菩薩)を合祀したという庵治の氏神。映画『世界の中心で、愛…
大阪府東大阪市にある43.4haという広大な大阪府営の都市公園が、枚岡公園(ひらおかこうえん)。大阪と奈良を結ぶ暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)沿い、現在の国道308号(奈良街道)沿いに立つのが芭蕉句碑「菊の香や…
愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・坂谷曲輪(さかたにくるわ)にあるのが、東照公えな塚。徳川家康は死後、仏式の山王一実神道により、東照大権現という神号で祀られましたが、家康の胞衣(えな=へその緒・胎盤)を埋めたと…
東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2代将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼね)が開創した寺で、境内には大坂の陣では使者として和睦に尽力したた阿茶局(法名が…
静岡県浜松市中区元城町、浜松城公園の東、元城町東照宮の境内に立つのが、徳川家康公・豊臣秀吉公像。元城町東照宮が鎮座する地は、戦国時代の引間城(曳馬城)の本丸跡。少年時代に仕えた松下加兵衛に連れられて木下藤吉郎(秀吉)も訪…
静岡県浜松市中区元城町、浜松城公園となっている浜松城本丸跡に立つのが、若き日の徳川家康公像。徳川家康は、永禄10年(1567年)、長男の竹千代(松平元康)に岡崎城を譲り、浜松城に移り、今川領遠江への侵攻を開始します。その…
愛知県豊田市松平町、松平東照宮の境内にあるのが、徳川家康産湯の井戸。神社の敷地はかつて松平家の屋敷があった場所で、徳川家のルーツの地。天文11年12月26日(1543年1月31日)、竹千代(家康)が岡崎城で生誕した際、井…
愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった一角、岡崎城の坂谷曲輪(さかたにくるわ)に現存するのが、東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)。東照公とは、死後、東照大権現として祀られた徳川家康のことで、天文11年12月26日(54…
愛知県岡崎市、岡崎公園の中心、岡崎城本丸跡に立つのが、東照公遺訓碑(とうしょうこういくんひ)。徳川家康は没後、東照大権現として祀られたため、東照公とは徳川家康のこと。つまりは徳川家康の遺言を刻んだ石碑で、昭和11年4月1…
愛知県岡崎市、岡崎公園内に立つのが、徳川家康公像。徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)、岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂あたり)で生誕。昭和40年、『家康公350年祭』で建立されたのが岡崎公園の徳川家…
愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅前、ペデストリアンデッキ上に設置されるのが、徳川家康公像。乙川リバーフロント地区整備事業の一環、新たな岡崎市のシンボルとして令和元年11月2日に除幕された新しい像で、松平から徳川に改姓した25歳…
静岡県静岡市葵区紺屋町、静岡駅に近い呉服町通り沿いに建つ徳川家康ゆかりの社が、小梳神社(おぐしじんじゃ)。今川家の人質となった竹千代(徳川家康の幼名)が今川義元に対面する前にこの神社に立ち寄り、武運長久を祈願したと伝えら…
静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。境内にある墓地の最奥、高台にあるのが、旭姫の墓。旭姫は豊臣秀吉の妹で、家康と秀吉の雌雄を決する小牧・長久手の戦いの後、それまでの夫と離別して…
静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。徳川家康ゆかりの禅寺で、境内の墓地の奥には徳川家康の正室(継室)・旭姫(豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康に嫁ぐ)の墓があり、旭姫の菩提寺にもな…
東京都品川区東品川1丁目、利田神社(かがたじんじゃ)の境内の一角に築かれているのが、鯨塚。江戸湾に現れ、天王洲へと追い込んで捕獲、東京では唯一のクジラを埋葬した塚。江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に…
静岡県静岡市葵区常磐町2丁目、2代将軍・徳川秀忠を生んだ西郷局(さいごうのつぼね)の菩提寺が、宝台院。永正4年(1507年)、鎌倉の浄土宗のお十夜法要を創始した光明寺9世・観誉祐崇上人が創建した龍泉寺(創建当時は柚の木に…
静岡市葵区、大御所となった徳川家康の居城、駿府城の本丸と二の丸跡を整備した駿府城公園。その本丸跡、徳川家康公之像近くににあるのが、家康手植のミカン。家康手植の蜜柑(みかん)の名で、静岡県の天然記念物にも指定されています。
愛知県犬山市、木曽川河岸の高台に建つ真言宗智山派の寺が、寂光院。継鹿尾観音(つがおかんのん)とも通称され、戦国時代には織田信長により、清州城の鬼門鎮護の寺となっています。新緑、紅葉も見事で、「尾張のもみじ寺」とも称されて…