瑞龍寺

瑞龍寺

静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。徳川家康ゆかりの禅寺で、境内の墓地の奥には徳川家康の正室(継室)・旭姫(豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康に嫁ぐ)の墓があり、旭姫の菩提寺にもなっています。本堂前にはキリシタン灯籠も。

徳川家康ゆかりの禅寺には、正室(継室)旭姫の墓も

瑞龍寺
徳川家康の正室(継室)、旭姫の墓

永禄3年(1560年)、駿府の城下町を整備した朝比奈泰以(あさひなやすもち=今川氏の家臣)が所領を寄進して帰依したという長源院(現・静岡市葵区沓谷)の5世・能屋梵藝(のうおくぼんげい)の開山と伝えられます。

駿府加番(すんぷかばん=駿府城を警備した旗本の要職)を1年間務めた阿部正信が天保14年(1843年)に著した『駿国雑志』(すんこくざっし/全50巻)には「開山は能屋梵藝大和尚、開基は瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼(旭姫)」と記されています。

永禄3年(1560年)は、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれた年。
駿府を治めた今川氏真(いまがわうじざね)は、永禄11年(1567年)に武田信玄の駿府侵攻で掛川に逃れているので、激動の時期に創建していることに。

徳川家康は駿府入城後、仏教各派の名僧を駿府城に集め、自らが聴聞し、僧侶の人材登用にも活用しています。
瑞龍寺の4世・泰岳是安(長源院8世)はしばしば家康に呼ばれて法話し、参禅の師となっているほか、家康も鷹狩りの際に長源院に立ち寄るなど、家康と瑞龍寺・長源院(当時は長源院の住職が瑞龍寺を兼務)との密なる関係がよくわかります。

『駿国雑志』に開基と記載される旭姫は、小牧長久手の戦い後の、天正14年(1586年)、最初の夫と強制的に離婚となって、浜松城の家康に嫁いでいます(この時、家康45歳、旭姫44歳)。
旭姫は、駿河府中(駿府)に居を構えたため駿河御前と呼ばれますが、天正18年(1590年)に摂州・有馬(現在の有馬温泉)で没しています。
生前は、臨済宗に帰依していたので、曹洞宗である瑞龍寺に墓所を築いたのは、徳川家康の命ということに。

旭姫が没したのは、秀吉の小田原征伐の最中だったため、家康は旭姫が没したのを秘して京・東福寺に埋葬、菩提を弔うために東福寺塔頭・南明院を建立しています。

瑞龍寺の墓は、豊臣秀吉も小田原征伐に向かう途中に参詣し、追善供養の供養塔を建立、寺領を寄進しています。
法名は瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼(ずいりゅうじでんこうしつそうぎょくだいぜんじょうに)。

徳川家康は、瑞龍寺に吉山明兆(きつさんみんちょう)の描いた『釈迦三尊像』、『十六羅漢絵像』を寄進し、現存しています。

松樹院(浄土宗) 、江戸時代後期の駿府城代だった松平忠明の墓、徳川家康が妙見菩薩を祀った井宮神社(いのみやじんじゃ/神仏習合の江戸時代は妙見寺)など、賤機山の麓に沿って寺町が形成され、一帯は静岡市の風致地区にもなっています。

駿府キリシタン迫害の歴史

瑞龍寺
本堂前のキリシタン灯籠

本堂前のキリシタン灯籠(切支丹灯籠・きりしたんとうろう)は、戦後、本堂前庭の池を整地した際に見つかったもので、駿府キリシタン(駿府切支丹)の遺物と推測されています。

駿府城下でのキリスト教は、江戸の布教開始よりも早い段階、関ヶ原の戦い以前の慶長2年(1597年)頃にはすでにフランシスコ派が開教していたと推測されています。
その後、慶長12年(1607年)にはイエズス会の宣教師パジェスが駿府城で家康に拝謁し、駿府と江戸での布教活動を願い出ています。

慶長16年(1611年)、スペイン国王使節セバスチャン・ビスカイノが駿府城で家康に拝謁した際には、その宿舎に多くの信徒が詰めかけ、そのなかには大奥の侍女・ジュリア(日本名=おたあ/李氏朝鮮の両班の娘ともいわれ、文禄・慶長の役の際に日本に連行されて小西家の猶子に)がいたことも記録に残されています。

洗礼名パウロと称する岡本大八(おかもとだいはち=本多正純の重臣)が、肥前のキリシタン大名・有馬晴信を欺くために、大御所である徳川家康の朱印状を偽造したという岡本大八事件が勃発し、岡本大八は駿府市街を引き回しのうえ、安倍河原で火刑となりますが、この事件に危機感を抱いた徳川家康は、慶長18年(1613年)、金地院崇伝起草の伴天連追放之文(バテレン追放令)を発布し、キリスト教徒の弾圧に乗り出します。

家康付きの侍女・ジュリアもキリシタン棄教の要求を拒否、家康の側室となることを拒んだなどの罪で、慶長17年(1612年)の天領に対するの禁教令で駿府を追われ、慶長18年(1613年)の伴天連追放之文(バテレン追放令)で遠島となり、伊豆・網代(あじろ)から大島に遠島、さらに神津島へと流されています(伊豆大島にオタア・ジュリアの十字架があります)。

駿府町奉行・彦坂九兵衛も駿府城下の実態調査に乗り出しますが、なんと徳川家康の鉄砲隊長・原主水もキリシタンであることが発覚。
フランシスコ・ガルベス神父、アンジェリス神父らとともに江戸で処刑されています。

その後、キリスト教徒は、潜伏生活を余儀なくされ、瑞龍寺のキリシタン灯籠も、地中に隠れた部分に十字架があるという造りです。

瑞龍寺
名称 瑞龍寺/ずいりゅうじ
所在地 静岡県静岡市葵区井宮48
関連HP 瑞龍寺公式ホームページ
電車・バスで JR静岡駅からしずてつジャストラインで10分、材木町下車、徒歩2分
ドライブで 東名高速道路静岡IC、新東名高速道路新静岡ICから約6km
駐車場 35台/無料
問い合わせ 瑞龍寺 TEL:054-271-2634/FAX:054-273-8031
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旭姫の墓

旭姫の墓

静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。境内にある墓地の最奥、高台にあるのが、旭姫の墓。旭姫は豊臣秀吉の妹で、家康と秀吉の雌雄を決する小牧・長久手の戦いの後、それまでの夫と離別して家康と政略結婚して、

 

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