姫路城・るの門
姫路城の城攻めの際に、菱の門を突破した敵軍は、三国堀の脇をまっすぐ進めば「いの門」で、正規の登城ルートとなりますが、右手にとれば一見行き止まりな感じがしますが、実は石垣の陰に隠れて門が配されています。これが「るの門」です…
姫路城の城攻めの際に、菱の門を突破した敵軍は、三国堀の脇をまっすぐ進めば「いの門」で、正規の登城ルートとなりますが、右手にとれば一見行き止まりな感じがしますが、実は石垣の陰に隠れて門が配されています。これが「るの門」です…
菱の門をくぐった正面に位置する門が姫路城「いろは門」(現存するのは13門)の最初となる「いの門」です。慶長年間に築かれた脇戸付きの高麗門(こうらいもん)が現存し、国の重要文化財に指定されています。
姫路城の菱の門を入ったところにある四角い堀が三国堀(さんごくぼり)。ここで登城道は左手へ「いの門」へと続く二の丸本道と、右手の「るの門」へと導く間道の二手に分かれますが、その要所をおさえる重要な位置に築かれた堀です。水確…
姫路公園に入り大手門をくぐると三の丸広場。広場を抜け、登城券売場で入城券を買い、最初に目にするのが二の丸の入口を固める菱の門となります。城内にある21門のうちで最大の門で、柱や扉はケヤキ材を使っていますが、両柱の上の冠木…
大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路…
姫路城の西北約1kmにある公園墓地が名古山霊苑。鉄筋コンクリート造りの仏舎利塔が聳えています。4月には桜、5月にはツツジが咲き誇り、姫路市民の花見スポットにもなっていますが、噴水池のバルコニーからは姫路市街を一望にします…
姫路城の東、姫路城の中曲輪(なかくるわ)に位置するのが姫路市立美術館。明治38年築の赤レンガ2階建ての見事な建物は、旧陸軍第10師団の兵器庫、被服庫を再生したもの。前庭には彫刻を配し、野外彫刻美術館のようになっています。…
明治元年、開港と同時に外国人居留地の前に置かれたのがメリケン波止場。メリケン(米利堅)とはアメリカのことで、居留地の西端に初代のアメリカ領事館(現在の神戸郵船ビルの場所に建っていた)のあったことが名の由来です。埋め立てが…
湊川の合戦で足利軍と戦い命を落とした楠木正成(くすのきまさしげ)を祭神に明治5年に創建された神社。湊川の合戦は、1336(建武3)年、九州から東上した足利尊氏の軍を兵庫・湊川で新田義貞・楠木正成らが迎えうった戦い。境内に…
神戸市立博物館は、昭和10年に旧居留地に建てられた旧横浜正金銀行神戸支店を再生したギリシャ神殿を思わせる重厚な建物のミュージアム。「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマに神戸に関する歴史資料などを展示公開して…
神戸の旧雑居地、現在の海岸通りに建つ明治44年築のレトロなビル。煉瓦造り3階建ての事務所建築で、設計は河合浩蔵、施工は旗手組。戦災で屋上のペディメント焼失。さらに内装の大部分と外部装飾の一部を失っていますが、唐破風状の曲…
神戸の居留地に隣接する雑居地、メリケン波止場(メリケン=アメリカの意)を前にする初代米国領事館の跡地に大正7年に建築された日本郵船神戸支店。当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていましたが、残念ながら空襲で焼失。耐震補強…
チャータードビルは、昭和13年に建てられた英国のチャータード銀行(Chartered Bank/現在の世界的な銀行金融グループ・スタンダードチャータード銀行)神戸支店。現存する神戸旧居留地海岸通を代表する近代建築のひとつ…
京都市山科区にある御廟野古墳(ごびょうのこふん)は、7世紀末~8世紀、つまりは古墳時代終末期の古墳。形状は、八角形が天下八方の支配者にふさわしいという道教の影響を受けた正八角形の八角墳で、第38代天智天皇の陵墓だと宮内庁…
横浜中華街、長崎新地中華街とともに「日本三大中華街」に数えられるのが神戸の南京町。東の「長安門」、西の「西安門」、南の「海栄門」(南楼門)を入口とする東西約200m、南北110mあまりの商店街で、中華料理店や中華食材店、…
最勝院は弘前市にある真言宗智山派の寺。重要文化財に指定されている塔としては日本最北の五重塔が有名です。1667(寛文7)年、3代藩主の津軽信義の案により、藩創始以来の戦死者を敵味方の区別なく弔うために建てられたもの。10…
1596(慶長元)年、南津軽郡大光寺村(現在の平川市)に建立され、弘前城築城後の1615(元和元)年に現在地に移築されたのが浄土宗の誓願寺。長勝寺を中心に33ヶ寺の禅寺(曹洞宗寺院)を集めた西茂森禅林街、東側の守りとした…
青森県弘前市の寺町(禅林街)にある蘭庭院(らんていいん)は、弘前藩2代藩主。津軽信枚が弘前城西南の抑えとして寺院を集めた禅林街33ヶ寺の一つで曹洞宗の寺。蘭庭院は院号で開基の津軽為信姉の戒名である蘭庭薫香大禅尼から付けら…