清凉寺

清凉寺

「釈迦堂さん」の愛称で知られる京都市右京区嵯峨にある浄土宗の古刹、清凉寺。嵯峨天皇の皇子で光源氏のモデルとされる左大臣・源融(みなもとのとおる)の山荘・栖霞観(せいかかん)のあったところで源融の一周忌である896(寛平8)年に建立された棲霞寺(せいかじ)が前身です。

光源氏のモデルとされる源融ゆかりの寺

987(寛和3)年、宋から帰国した東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が、大清凉寺の建立を計画し、弟子の盛算が棲霞寺に、奝然が宋より持ち帰った釈迦如来立像(「三国伝来の釈迦像」、「生身の釈迦如来様」)を安置しました。
応仁の乱や嵯峨の大火で伽藍を失っていますが5代将軍・徳川綱吉の母である桂昌院の発願で復興。
およそ1万坪といわれる広々とした境内には本堂を始め、霊宝館、源融の墓と伝わる宝篋印塔などが建っています。

本尊の釈迦如来像は、奝然が宋に留学時代、紀元前5〜6世紀インドの優填王(うでんのう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で37歳の姿を彫ったという釈迦像を模倣して造らせたもの。
インドから宋に、さらに日本へと伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれています。
また「生身の釈迦如来様」としても有名で、釈迦如来像のお顔に完成の仏牙を入れたとき、一点から血が滲んだためだと伝えられています。
さらに胎内には絹で作った五臓六腑が収められ、仏像本体とともに国宝に指定されています。

この仏像をモデルにして造られた像も100体ほどあり、今日では「清凉寺式釈迦像」と呼ばれています。
木造阿弥陀三尊坐像は旧棲霞寺の本尊で、源融の一周忌に納められたもの。
源融がモデルで、「光源氏移し顔」とも伝えられていますが、こちらも国宝です。

墓地には源融の墓のほか、夕霧の墓、豊臣秀頼の首塚も

1784(天明4)年に再建の仁王門は、「嵯峨野の顔」とも称される立派な門で、京都府の文化財に指定されています。
本尊の釈迦如来像(国宝)を安置する本堂(釈迦堂)は、1602(慶長7)年に豊臣秀頼によって寄進・造営されましたが、嵯峨の大火で類焼。1701(元禄14)年の再建で、やはり京都府の文化財。

霊宝館には、旧棲霞寺本尊・阿弥陀三尊像(国宝)などが収蔵されています。
例年、4月〜5月と、10月〜11月に特別公開されています。

墓地には源融、夕霧太夫の墓、豊臣秀頼の首塚があります。
昭和55年、大阪城の三の丸跡の発掘調査で、20歳〜25歳の若武者で、首には介錯の痕がある頭蓋骨が出土。
大坂の陣の頃と推測されるため、周囲の出土品から豊臣秀頼と判断され、秀頼が再興した清凉寺に祀られました。
没後368年のこととなります。
巨大な墓石は小豆島から運ばれたもの。
5月5日には『豊臣秀頼公忌』も執り行なわれています(豊臣秀頼=慶長20年5月8日没)。

名妓として名高い夕霧太夫の墓があることから、毎年11月の第2日曜には『夕霧祭』(夕霧供養)が行なわれています。
延宝6年1月7日(1678年2月27日)、27歳の若さで没した夕霧は、清凉寺の建つ嵯峨野で生まれたと伝えられているのです。

清凉寺 3つのチェックポイント

光源氏のモデルとされる左大臣・源融の山荘跡地
本尊は「三国伝来の釈迦像」
春秋に霊宝館特別拝観

清凉寺
名称 清凉寺/せいりょうじ
Seiryoji Temple
所在地 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
関連HP 清凉寺公式ホームページ
電車・バスで JR嵯峨嵐山駅から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約14km
駐車場 清凉寺駐車場(50台/有料)
問い合わせ 清凉寺 TEL:075-861-0343/FAX:075-861-0310
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地

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2017年12月29日

 

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