旧天北線モニュメント
音威子府駅(おといねっぷえき)で宗谷本線から分岐し、浜頓別(はまとんべつ)を経て南稚内で再び宗谷本線に合流した天北線(てんぽくせん)。あまり知られていませんがこの路線、南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の初期のル…
音威子府駅(おといねっぷえき)で宗谷本線から分岐し、浜頓別(はまとんべつ)を経て南稚内で再び宗谷本線に合流した天北線(てんぽくせん)。あまり知られていませんがこの路線、南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の初期のル…
明治14年、忠類村(現在の標津町忠類)から崎無異(さきむい)までの山道が開削され、さらに明治18年に「新斜里山道」として斜里に通じる根北峠(こんぽくとうげ)越えの峠道が開通。その際に、瑠辺斯(るべす)に駅逓(えきてい)が…
標津町(しべつちょう)の海岸から少し内陸に入った原野にある伊茶仁カリカリウス遺跡は、伊茶仁川(いちゃにがわ)とその支流、ポー川との間の台地上に形成された遺跡。407haの広大なミズナラ林を主体とした遺跡の森が海岸から内陸…
塩の道(千国街道/ちくにかいどう、松本街道)は、新潟県側の糸魚川と松本を結ぶ全長30里(約120km)の道。砂丘の開けた糸魚川では、古くから製塩が行なわれており、千国街道を経て、越後から信濃へと塩や海産物などが運ばれまし…
富山県との県境に近い県南西端・糸魚川市市振(旧青海町)にあり、北アルプスが日本海に落ち込んでできた断崖が親不知・子不知(おやしらず・こしらず)。その北陸道最大の難所の旧国道を遊歩道として整備したのが親不知コミュニティロー…
北陸道最大の難所だった親不知・子不知(おやしらずこしらず)。明治11年の天皇行幸の際には、厳しい山越えで断崖を克服したので、明治16年には国道が開削されました。北陸本線も大正元年に開通。昭和40年に複線化して山側のトンネ…
ポー川史跡自然公園の公園入口エリア、標津湿原(しべつしつげん)への木道の入口に位置する博物館。伊茶仁カリカリウス遺跡の解説では、オホーツク文化人の末裔にあたる、トビニタイ文化の土器などが興味深い展示となっています。展示さ…
標津町の市街地背後の小高い丘は、望ヶ丘公園として整備されていますが、実は一帯はアイヌのチャシ(砦)跡。公園の下に茶志骨(ちゃしこつ)という字名(あざめい)がありますが、アイヌ語のチャシ・コツ(chasi-kot=城・砦跡…
浜中町から根室市に至る道道142号(北太平洋シーサイドライン)の途中にある展望駐車公園が羨古丹駐車公園(うらやこたんちゅうしゃこうえん)。北太平洋シーサイドラインは、観光客の少ない秘境ムードたっぷりのドライブルート。羨古…
北海道遺産、さらには準鉄道記念物に登録の「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」。第五音更川橋梁(だいごおとふけがわきょうりょう)は、国の登録有形文化財に指定の全長109mという長大なアーチ橋です。「旧国鉄士幌線コンクリ…
上士幌市街から国道273号(糠平国道)をぬかびら源泉郷・糠平湖方面に走ると泉翠峡、元小屋ダム湖という景勝地があります。この峡谷に架かる全長71mのアーチ橋が第三音更川橋梁(だいさんおとふけがわきょうりょう)。旧国鉄士幌線…
旧国鉄士幌線のタウシュベツ川橋梁は、糠平湖の東岸にあり、東岸を走る林道は地元の営林署に入林許可が必要となるため(あるいは地元NPOのツアーに参加して散策するのが一般的)、簡単にはアプローチできません。そのため、糠平湖の西…
糠平湖(ぬかびらこ)の湖畔にコンクリート製の大きなメガネ橋があります。このタウシュベツ川橋梁は、帯広から十勝三股間を結んでいた士幌線(しほろせん)の廃線跡(昭和62年に全線廃止)。現在も糠平湖周辺に数多くの橋梁が残ってお…
斜里駅(現・知床斜里駅)と越川駅を結んだ国鉄根北線(こんぽくせん)。昭和45年に廃止されましが、計画では根北峠を越え、標津線の根室標津駅と結ぶ予定でした。昭和14年に完成したのが越川橋梁(第一幾品川橋梁)。国の登録有形文…
斜里町役場の裏手、知床博物館の西側のこんもりと茂った町民公園にある史跡。1807年(文化4)年、江戸幕府は津軽藩、秋田藩などの東北諸藩に蝦夷地警備を命じています。寒さに強いという理由で東北諸藩がロシアの南進策に対抗する蝦…
稚内市街の背後に聳える標高172.9mの丘の頂き近くに建つ展望塔が開基百年記念塔。地上70m(海抜240m)の位置にガラス張りの展望室があり、サロベツ原野、宗谷海峡、利尻・礼文、樺太(サハリン)の島影を眺めることができま…
宗谷岬に近い稚内市宗谷村清浜、恩頃間内橋近くにある3~4世紀頃の集落遺跡がオンコロマナイ遺跡(オンコロマナイ2遺跡)。司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ、「オホーツク街道」にも考古学者の泉靖一が発見したオホーツク遺跡とし…
羅臼町の中標津寄りに位置する峯浜地区。海岸線から少し入った高台に建つ旧植別小学校を再生した資料館。「羅臼は、衰退したオホーツク文化が、擦文文化との『融合』という形で痕跡をとどめる貴重な場所」と解説するのは学芸員。「北海道…