寺島蔵人邸跡

加賀藩士・寺島蔵人(てらしまくらんど)は禄高450石の中級武士として、農政、財政の実務的な仕事を歴任。1777(安永6)年に、藩から邸地を拝領し新築したといわれる邸宅は、家屋、土蔵、土塀が現存し、中級武家屋敷の特徴を伝える貴重なもの。金沢城大手門跡に近い金沢市大手町にあり、見学が可能です。

加賀藩の中級武士であり画人であった蔵人の邸宅を公開

大手門から東北東200mほどの場所に位置する寺島蔵人邸ですが、藩政時代には中級武士の居住地で、寺島邸のような武家屋敷が並んでいました。

金沢市指定文化財になったことを受けて、昭和51年に当主の寺島啓氏が一般公開を開始。
その後、昭和63年に土地・建物・伝来の所蔵品を金沢市に寄贈し、寺島家ゆかりの貴重な品々は、金沢市指定文化財歴史資料になっています。

三重九輪の塔を中心とした池泉回遊式庭園も見学でき、春のドウダンツツジの花や秋の紅葉が見事。

寺島蔵人は、画人(雅号:応養)としても知られ、館内には秀作の数々や、寺島家ゆかりの品が展示されています。
2階8畳の間は蔵人の画室「白雲深処」と伝えられていますが、安全のため非公開になっています。

茶室では、寺島家の家紋をかたどった特製の落雁で抹茶を味わうことも可能。

不遇の晩年だった寺島蔵人
加賀藩の越中高岡町奉行、定検地奉行、改作奉行、大坂借財仕法主付などを歴任し、正義感の強さで知られた寺島蔵人。
1824(文政7)年、12代藩主・前田斉広(まえだなりなが)に藩政改革のための親政機関「教諭方」(きょうゆかた)の一員に抜擢されています。
斉広は、「教諭方」を諮問機関に藩の政治改革を試みましたが失敗。1年もたたないうちに斉広が急死し、教諭方も解散となっています。
改革派となった寺島蔵人は斉広亡き後の藩政を巡り、藩の重臣と対立。
その結果、1825(文政8)年に役職を剥奪。
1837(天保8)年に能登島流刑となり、能登島で病没しています。
 

寺島蔵人邸跡 DATA

名称 寺島蔵人邸/てらしまくらんどてい
所在地 石川県金沢市大手町10-3
関連HP 寺島蔵人邸公式ホームページ
電車・バスで JR金沢駅から北陸鉄道バス橋場町経由柳橋・東部車庫行きで10分、橋場町下車、徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道金沢東ICから約4.6kmで東山河畔観光駐車場
駐車場 なし/東山河畔観光駐車場(14台・有料)・東山観光駐車場(15台・有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:076-224-2789/FAX:076-224-2789
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/金沢市

 

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