日向国分尼寺跡

聖武天皇は、741(天平13)年、仏教によって国家の理想を実現するという鎮護国家の方針から、全国に国分寺(金光明四天王護国寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を建立しています。宮崎県立妻高等学校敷地一帯が日向国分尼寺跡です。校門近くには尼寺坂と通称される細い車道もあります。

日向国の国分尼寺跡は高校の敷地に

国分尼寺の南700mほどのところには、日向国分寺跡の遺構が発見されています。
さらに日向国府については平成10年までの宮崎県教育委員会の調査で寺崎・法元地区に正殿・東脇殿・築地塀・雨落ち溝跡などが確認されています。

奈良時代には、一帯に日向国府、そして日向国分寺、国分尼寺が置かれ政治文化の中心地であったことを物語っています。

日向国分尼寺跡
名称日向国分尼寺跡/ひゅうがこくぶんにじあと
所在地宮崎県西都市三宅
ドライブで東九州自動車道西都ICから約5.5km
問い合わせ西都市社会教育課 TEL:0983-43-0846
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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日向国分寺跡

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