鹿島川と高崎川の合流点、小高い台地に築城された佐倉城。千葉県にある数少ない近世城郭の遺構で「日本100名城」に選定。佐倉城は、1610(慶長15)年、徳川家康の命を受け江戸幕府防衛上の拠点として土井利勝(どいとしかつ)が小見川領から佐倉領に入封し、築城したもの。当時は土塁や堀に囲まれた平山城でした。
土井利勝が築城し、堀田家の居城となった佐倉城
天守もなく、三重櫓(御三階櫓)を天守の代わりとしていました。
その代用天守である三重櫓(御三階櫓)は1813(文化10)年、城主・堀田正愛(ほったまさちか)の代に盗賊の火の不始末によって焼失し、その後再建されませんでした。
防備という点では要所に馬出し(虎口の外側に曲輪を築いて防御力を高めたもの)を備えていました。
土井利勝は、佐倉に入封した直後に秀忠付の老中になっています。
徳川秀忠の名で一国一城令と武家諸法度を制定し、本多正純が失脚後は、幕府の最高権力者となりました。
1746(延享3)年からは堀田氏11万石の居城として6代が続き明治維新を迎えています。堀田家も代々幕府の老中になる優れた人物を輩出しています。
1746(延享3)年入城の堀田正亮(ほったまさすけ)は老中首座。
だから地元佐倉の人々は今も堀田氏の城という意識が強く、築城した土井利勝のイメージが弱くなっています。
本丸、二の丸、三の丸などが現存
さらにその後、帝国陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊(通称・佐倉連隊)の駐屯地となったため往時の形状は損なわれています。
佐倉兵営跡記念碑が立つのが三の丸です。
本丸、二の丸、三の丸、その外縁部の椎木曲輪、天神曲輪、西出丸、南出丸などが現存。
現在は公園として整備され、本丸跡(天守跡)を中心に土塁や空堀の一部が現存しています。
カエデの巨木やイチョウ並木など、自然豊かな姥ヶ池周辺は散策に最適です。
天守台横の推定樹齢は400年以上というモッコクの巨樹は、土井利勝が大坂の陣で戦勝記念として持ち帰り、本丸館の庭木として植えたものと伝えられています。
公園の東端には、佐倉城に関する模型や古写真、出土遺物などを展示した佐倉城址公園管理センター(佐倉城址公園センター)があります。
姥ヶ池は、昔、乳母が若君を池の畔で遊ばせていた際、誤って若君を溺れさせてしまったという伝承が残る池。
大手門は現在の佐倉中学校前にありました。
佐倉城跡は、日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。
佐倉城跡(佐倉城址公園) | |
名称 | 佐倉城跡(佐倉城址公園)/さくらじょうせき(さくらじょうしこうえん) |
所在地 | 千葉県佐倉市城内町官有無番地 |
関連HP | 佐倉市公式ホームページ |
電車・バスで | 京成本線京成佐倉駅から徒歩15分。または、JR佐倉駅から徒歩26分 |
ドライブで | 東関東自動車道佐倉ICから約7.5km |
駐車場 | 212台/無料 |
問い合わせ | 佐倉城址公園管理センター TEL:043-484-0679 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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