愛媛県七大名城とは!?

愛媛県七大名城

名城の多い愛媛県ですが、今治城(今治市)、湯築城(ゆづきじょう/松山市)、松山城(松山市)、大洲城(大洲市)、宇和島城(宇和島市)が日本100名城、能島城(今治市)、河後森城(かごもりじょう/松野町)が続日本100名城に選定。以上の7城が愛媛県七大名城といえるでしょう。

今治城|日本100名城

所在地:愛媛県今治市通町3-1-3
築城年:慶長9年(1604年)
築城者:藤堂高虎(とうどうたかとら)
主な城主:藤堂高虎、藤堂高吉、松平定房
史跡:愛媛県の史跡
遺構:現在は本丸と二ノ丸、内堀、石垣が残るのみ
備考:海上の要衝・来島海峡(くるしまかいきょう)に面した今治港の南、三重の濠に海水を引き入れた珍しい海岸平城で、今治藩の藩庁
築城の名手・藤堂高虎が築いた城で、日本三大水城のひとつ
5層6階の模擬天守は昭和55年の再建、さらに二の丸西隅に山里櫓、東隅に御金櫓、鉄御門(くろがねごもん)、多聞櫓5棟が復元されています

今治城

今治城

慶長9年(1604年)、築城・縄張の名人、伊予半国20万3000石の大守・藤堂高虎(とうどうたかとら)により完成したのが今治城(いまばりじょう)。海上の要衝・来島海峡(くるしまかいきょう)に面した今治港の南、三重の濠に海水を引き入れた珍しい

湯築城(ゆづきじょう)|日本100名城

所在地:愛媛県松山市道後公園
築城年:建武2年(1335年)頃
築城者:伊予国守護・河野通盛(かわのみちもり)
主な城主:河野通直、福島正則
史跡:国の史跡
遺構:内堀、外堀が現存
備考:一帯は道後公園として整備され、復元区域(城跡の南部)には湯築城資料館、武家屋敷(復元)、土塁展示室、庭園区・上級武士居住区(平面表示)などが整備されています。

湯築城

湯築城

道後温泉(愛媛県松山市道後町)の温泉街の南、小高い丘陵で、現在道後公園となっている一帯が中世の名城、湯築城(ゆづきじょう)の城跡。足利尊氏が建武政権に叛旗を翻した建武2年(1335年)頃、伊予国守護・河野通盛の代に築城され、戦国時代まで中世

松山城|日本100名城

所在地:愛媛県松山市丸之内1
築城年:寛永4年(1627年)
築城者:秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)
主な城主:加藤嘉明、松平定行
史跡:国の史跡
文化財:大天守(現存12天守のひとつ)を含む21棟(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓など櫓6棟、戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟)が国の重要文化財
備考:愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山藩の藩庁
本丸、二之丸、三之丸など、城を中心として、51.8haもの広大な城山公園として整備
現存する天守は、幕末の安政元年(1854年)再建
野原櫓は、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で天守の原型を今に伝える貴重な遺構
山麓からロープウェイ・リフトと徒歩による登城が可能

松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

大洲城|日本100名城

所在地:愛媛県大洲市大洲903
築城年:元弘元年(1331年)、近世城郭=文禄4年(1595年)
築城者:伊予守護職・宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)、近世城郭=藤堂高虎
主な城主:小早川隆景、藤堂高虎、脇坂安治(わきざかやすはる)、加藤貞泰(かとうさだやす)
史跡:愛媛県の史跡
文化財:安政6年(1859年)再建の台所櫓、万延元年(1860年)再建の高欄櫓、天保14年(1843年)再建の苧綿櫓(おわたやぐら)、明和3年(1766年)再建の三の丸南隅櫓は国の重要文化財
備考:大洲藩の藩庁で、天守は平成16年9月の再建(初めて当時の工法と木造で復元)

大洲城

大洲城

大洲城(おおずじょう)は、元弘元年(1331年)に伊予守護職・宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が城郭を築いたのが始まり。肱川(ひじかわ)の蛇行を利用し地蔵岳に建てられた平山城で、文禄4年(1595年)に、築城の名手として名高い藤堂高虎(とう

宇和島城|日本100名城

所在地:愛媛県宇和島市丸之内1
築城年:慶長6年(1601年)
築城者:藤堂高虎(とうどうたかとら)
主な城主:藤堂高虎、伊達秀宗(だてひでむね=伊達政宗の長男)、伊達宗徳(だてむねえ)
史跡:国の史跡
文化財:3重3層の独立式天守が現存(国の重要文化財)、南側登城口城門の上り立ち門(宇和島市の文化財)、北登山口にある桑折氏武家長屋門(こおりしぶけながやもん=宇和島市の文化財)
備考:宇和島藩・伊達家の居城

宇和島城

宇和島城

宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦がありましたが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほぼ現在の姿が整え

能島城|続日本100名城

所在地:愛媛県今治市宮窪町宮窪
築城年:応永26年(1419年)頃
築城者:村上雅房(能島村上氏)
主な城主:村上雅房
史跡:国の史跡
遺構:本丸、二の丸、三の丸、出丸の跡、船溜まり跡、矢倉跡や石塁が現存
備考:「海の大名」といわれた能島村上海賊の本拠地
天然の要害地である能島に砦を築くことで、海域を航行する船から通行料、警固料を徴収、瀬戸内海の覇権を手にしました

能島城跡

能島城

愛媛県今治市宮窪町、大島の沖合に浮かぶ周囲720mの能島(のしま)にある城砦で、能島村上海賊の本拠地だった城跡が能島城。室町時代、戦国時代にわたり活躍した村上海賊は、応永26年(1419年)に能島、因島、来島の3家に分立しましたが、このうち

河後森城(かごもりじょう|続日本100名城

所在地:愛媛県北宇和郡松野町富岡
築城年:伝承=建久7年(1196年)
築城者:渡辺氏
主な城主:伊達秀宗(だてひでむね=伊達政宗の長男)
史跡:国の史跡
遺構:石垣、土塁、堀切などが現存
備考:伊予国(現・愛媛県)と土佐国(高知県)の国境に位置する山城
慶長19年(1614年)、伊達秀宗(だてひでむね=伊達政宗の長男)が、宇和島藩を立藩するとその支城になり、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城に

河後森城

河後森城

愛媛県北宇和郡松野町にある中世の山城が、河後森城(かごもりじょう)。四万十川の支流・広見川、さらにその支流の堀切川、鰯川の3河川に囲まれた丘陵という天然の要害を利用し、本郭など9の郭(くるわ)を山上に配した大規模な山城で、続日本100名城に

愛媛県七大名城とは!?
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徳島県三大名城

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