大宰府政庁跡の北西に位置する、四天王寺山の麓にある奈良時代創建の筑前国の国分寺跡。聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、全国各地に建立した国分僧寺(金光明四天王護国之寺/こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつが筑前国分寺です。現在は後継寺院である高野山真言宗の寺、筑前国分寺が建っています。
聖武天皇発願の国分寺は礎石などが現存
現在の筑前国分寺は、江戸時代の再興で、創建時の国分寺と境内が重複。
参道と築地、中門と金堂を結ぶ回廊、東塔(七重塔)、金堂背後の講堂跡が、残された礎石から確認されています。
なかでも、国分寺本堂の下に位置する金堂跡は、発掘調査により東西約30m、南北約20mの規模があり、8世紀中頃の創建から12世紀まで続いたことが判明しており、日本遺産「大宰府」の構成資産のひとつになっています。
創建の年代は定かでありませんが、801(延暦20)年、四王院から仏像・法具が「筑前金光明寺」に移されたという記録があり、それ以前ということに。
九州各国の国分寺の中心、そして大宰府政庁との関係から、741(天平13)年の聖武天皇の詔以降、比較的早い時期に創建されたものと推測できます。
しかも、塔や講堂などの基壇(きだん=土台)の化粧に瓦が用いられるなど、独自の工法が使われていることも、筑前が都から重要視されていた、あるいは先進の文化が流入した証でしょう。
東塔(七重塔)については、1/10スケールの復原模型が、「太宰府市文化ふれあい館」の屋外に展示されています。
現在の本堂には、平安時代後期の作とされる伝薬師如来像が安置され、国の重要文化財に指定。
また筑前国分寺跡の西300mのところには筑前国分尼寺跡もありますが、こちらは国分寺に比べて短命で、100年ほどの存続と推定される遺構となっています。
筑前国分寺跡 | |
名称 | 筑前国分寺跡/ちくぜんこくぶんじあと |
所在地 | 福岡県太宰府市国分4-13-1 |
関連HP | 太宰府市公式ホームページ |
電車・バスで | 西鉄都府楼前駅から徒歩15分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 太宰府市観光推進課 TEL:092-921-2121/FAX:092-921-1601 |
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