福岡城・鉄御門跡

福岡城の本丸には天守台(天守は江戸時代初期にありましたが、すぐに解体されています)、そして藩主が政務を司る本丸御殿がありました。天守台への入口にあったのが鉄御門(くろがねごもん)です。天守への最後の関門にふさわしく、敵の侵入を防ぐため幅が狭い門になっています。

鉄御門の先には切腹櫓、埋門が

幅の狭い門の両側には、高く積まれた石垣がそびえ立ち、その石垣の上には櫓や塀が張り巡らされていました。
いざという時には、上から攻撃できるようになっていたわけです。
鉄御門の石段を上った一角が切腹櫓。
ここまで敵が侵入した際には、城主は潔く、ここで腹を切るというための櫓です。

この鉄御門の先には、埋門(うずみもん)がありましたが、現在では門の跡のみ残されています。

切腹櫓
埋門

取材・画像協力/福岡市

福岡城・鉄御門跡
名称福岡城・鉄御門跡/ふくおかじょう・くろがねごもんあと
所在地福岡県福岡市中央区城内
関連HP福岡城公式ホームページ
電車・バスで地下鉄空港線赤坂駅または大壕公園駅から徒歩8分。天神バスセンターから西鉄バス西浜・姪ノ浜行きで4分、大手門下車、徒歩2分
ドライブで福岡都市高速西公園ランプから約2.8km。または、天神北ランプから約3.3kmで舞鶴公園第2駐車場
駐車場舞鶴公園第1駐車場(69台/有料)・舞鶴公園第2駐車場(72台/有料)
問い合わせ福岡市経済観光文化局文化財部文化財保護課 TEL:092-711-4666/FAX:092-733-5537
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

福岡城

関ヶ原の合戦の戦功により、筑前52万石の領主となった初代福岡藩主・黒田長政が、1601(慶長6)年から7年がかりで築城した城が福岡城。一説には豊臣秀吉の文禄・慶長の役で2回にわたって攻防戦を繰り広げた韓国・晋州城(チンジュソン・現在の晋州市

 

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